古い日記のコーナー
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2003年1月
明けましておめでとう
2003年01月10日(金)
あけおめ。たくさんの年賀メールありがとう。
今年は収穫の年。去年まいた種が花咲く。
正月はほんと久しぶりで宮島に初詣に行った。
親友の子供と手をつないで歩く厳島もこれまたよかったよ。
時の流れを感じつつね。(笑)
休みボケも治ってきて今の俺は燃えてます。
怪人社へ。
2003年01月10日(金)
先日、怪人社の芝居を観にいった。下北沢駅前劇場。
「レットキング」や「犬がニャーと泣いた日」が番組イベントに出てくれたし、
招待状くれてたしで、行かせてもらった。
怪人社と言えば、鳥肌実や鉄拳が所属するお笑い集団。
かなりマニアックな笑いを期待していったが、見事期待を裏切らずに面白かった。
途中チ○コにアロンアルファでライターをくっつけたりと、かなりおげれつ芸もあったか(笑)、
楽しませてもらいました。
音楽と一緒でお笑いも、色んな世界、色んな才能がひしめき合ってるんだな。
2月にまた観に行きたい。
ギックリ腰男
2003年01月15日(水)
やってしまった。ギックリ腰。
しかも普通に立ったまま靴下履こうとしただけで・・。
ヤバイ。それでも二日たって回復にむかってたのに
昨日クシャミした瞬間にまた『グキッ』となったぁー。
魔の瞬間でした。
むかしローラン・ベースのトミさんがアンプを持ち上げた瞬間
固まって動かなくなったっけ。(笑)
ほんと漫画みたいだったな。(笑)その時這うように接骨院にいって
針を打ってもらった。そしたら帰りはめちゃ直立歩行で帰ってきてね。
「やぁー」ぐらいの勢いで。(笑)
「針って効くんじゃのー」ってみんなで驚いたのをおぼえてる。
その時たしかギターのひとしが
「トミさん、教科書に載っとるサルが進化して人間になった図みたいじゃね」
とかって言って爆笑したよなぁ。(笑)
まあ今回はそんなひどくなかったけど
針ためしてみようか。でも恐っ。
悲しい時代
2003年01月16日(木)
このままいくと多分戦争が始まるだろう。
また一方的な映像だけがニュースで流れる。
花火を見てるような非現実的な映像だろう。
大量虐殺兵器を作ってるって怒ってる国自体が一番多くそれを持ってる。
日本はどうする?僕等はどうしよう?"神社にお参りした"って隣の国に叱られたよ。
リセットしたい。全ての悲しみを遺恨を、戦争を。都合良くリセットしたい。
楽しい想い出まで消えてしまうとしても、全てをリセットしたい。
文化、宗教、習慣、人の愛し方、国の愛し方、自分の愛し方、それぞれみんな違う。
自分達の価値観を無理矢理押しつけても混乱するだけ。
地球はもうそう長くは保たないだろう。
こんな事をしてる場合じゃない。
みんながみんな悪者退治に必死になってる。
僕等の子供のために。子孫のために。リセットしたい。
全てを勝手にリセットしたいよ。
まいった。
2003年01月18日(土)
あー今日はずっと打ち合せだったよ。最後吉祥寺での打ち合せが終わった後
渋谷のクラブエイジアにパーティーイベントを観に行った。
そしたら何と「写真付き身分証明がないと入れません」だって!
ムカツク。まったくIDチェックなんてはじめてだよ。
ほんとアメリカみたいなってきたのー。それだけ物騒になったのか・・・。
今飲み直してる。
ライブへ
2003年01月22日(水)
今日は高円寺のショウ・ボートにライブを観にいった。
俺の赤坂ブリッツや渋公の時にコーラスで手伝ってくれたピョンのバンド
“トリップメーター”を観にいったんだ。
ピョンは妹みたいな存在でデビューしてからも応援してたからね。
ドラマの音楽プロデュースをやった時も2曲ほど歌ってもらったしね。
久しぶりにみたライブはほんと成長してた。
ギターのリョウタもいい感じでキレてたし。観にいってよかったのー。
そこでなつかしい連中と再会。結局また飲んだ。(笑)
そういえばサポートドラマーが俺がいつも叩いてもらってる朝ちゃんだったんだよね。
いやー世間は狭いのぅ。
討論会
2003年01月28日(火)
日曜日はアーティスト数十組集まってアーティストミーティングを行なった。
様々なテーマに分けて本音討論。議長を努めさせてもらった。
みんな色んな事考えてておもしろかったよ。近々オンエアー予定。またやりたい。
2003年2月
今日から毎日
2003年02月01日(土)
今日から毎日日記書く。いやマジで・・・。
今日は3つ打ち合せがあったよ。まずプロデュースしてるぶんや・ともあき会議。
2月からまたレコーディングに入る。2月半ばくらいから番組の中でも
“ぶんや”のコーナーが始まるし。曲もアレンジしなきゃ。
それから番組構成会議。これはスト・ファイの番組内容を話し合うもの。
そして夜はイベント会議。3月になんと石垣島でスト・ファイのイベントをやるんだ。
色々いそがしいな。たくさんメールもらってるだな・・少しづつ返事かえしてます。 m(__)m
歌い初めをみんなが待ってくれてる。ごめんな。もう少し待ってて!
それからね、あっと言わせるニュースがもうじき報告できると想う。
また“アイ・アム・サム”観ちゃった。うーん泣ける。
解散は残念。
2003年02月02日(日)
“GOING STEADY”が解散したね。
痛快で切なく、爽快でいて繊細、何か本来ロックが持ってる感情や衝動を
感じられるいいバンドだっただけに残念だな。
バンドって続けていくのは凄くパワーがいるもんね。
でもバンドがひとつになった時に放つエネルギーは無限。
これは経験した奴にだけわかる特別なモノなんだよ。
「俺たち今凄げー!」みたいな。(笑)
まあ僕は特に感じやすいタイプらしく
中学3年の時のバンドでも気持ちは“無限大”までいってました。(笑)
ハマッたか?!
2003年02月04日(火)
昨日は池袋サンシャイン劇場へ行った。“お笑いの神様”というイベントを観に。
やばい怪人社にハメられつつある。鉄拳の本を買いそうになった。ヤバイ。
でもまた観に行こっ。サンプラザ中野さんが司会してたよ。
会場で知人にあった。お笑いのライターもやってるらしい。「いやー、番組がらみでねぇ」
となんだか言い訳してる俺がおかしかった。(笑)
はじまる
2003年02月09日(日)
ごめん、久しぶり。
明日からレコーディング。ヘッドアレンジも終わったし。
きっといいモノできるよ。
がんばる
追加ー映画についてー
2003年02月09日(日)
これを観ないと死ねない映画かぁ・・・。
「8人の女たち」観たかったけど行けずにいるなー。
「レッドドラゴン」は「ハンニバル」にがっかりだっただけに
期待してないし。「戦場のピアニスト」と
「「ボーリング・フォー・コロバイン」は絶対観るよ!
順調&快調
2003年02月10日(月)
プロデュースしてる“ぶんや・ともあき”のレコーディングは快調だ。
今日は3曲のベーシックが録れた。順調。
色々実験的に試しつつおもしろくなってるよ。
やっぱモノをつくるって素晴らしい。
まる十数時間スタジオに籠もってたら
タバコ3箱とコーヒー30杯くらい飲んだ。
身体に悪っ!気をつけよう。
長時間ものすごく耳に神経を集中させてるので
帰るとドット疲れが・・・。
まだ始まったばかり。がんばろっ。
順調&快調2
2003年02月12日(水)
今日は「ロケットマツさん」がスタジオにきてくれた。
マンドリンやアコーディオンの奏者で忌野清志郎さん
といっしょにやってたり、今は“たま”のメンバーとかと
“パスカルズ”というバンドをやってたり。
その“パスカルズ”がまた最高なんだな。
総勢15名のアコースティック楽団で
たとえるなら西洋風チンドンヤ。まさにストリートな感じ。
今回アレンジ考えてる時にふと思いつき急遽参加してもらう事にした。
今日は2曲アコーディオンとマンドリンを弾いてもらった。
急なお願いにもかかわらず気持ち良く引き受けてくれ
楽しくてしかも哀愁のある音を奏でてくれた。
マツさん、ほんとにありがとう。
そして明日はなんと、ある1曲をパスカルズ全員に来てもらって録音する。
俺がイメージしてる楽しくて賑やかな世界をカタチにする事ができると想う。
楽しみじゃ。
やすらかに。
2003年02月14日(金)
先日、同級生が亡くなった。
あまりの突然の知らせと、レコーディング中の慌ただしさの中で、何も実感出来ずにいる。
高校時代のロック仲間、居酒屋のバイトも一緒にやってた。
もう10年くらい会ってなかった。
大学の時の彼女と結婚したっていう噂は聞いてた。
広島時代の懐かしい話には、いつも名前が出てた。
去年だったかローランの一人が帰郷した時に偶然街で出会ったらしく、
「あいつハムスターをカゴに入れて歩いてた」って聞いて、みんなで笑った。
小学生の子供が二人居る。きっとハムスターも子供達のためのもの。
メチャ愛想の悪いヤツだったが、やさしくてホントにいいヤツだった。
みんなでバカやってた頃の忘れられないエピソードを残してアイツは逝った。
早すぎるよ。悔しかっただろうな。
でも自殺サイトで募って、命を消すような無気力なバカ死にじゃない。
きっと強い思いは家族に残った。仲間の思い出に残った。
線香をあげに行きたいと思う。
是非観て
2003年02月17日(月)
今日のストリート・ファイターズでプロデュースしてる
“ぶんや・ともあき”の曲をワンコーラス聴いてもらおうと想う。
みんなに是非観てもらい何か感じたら感想を書き込んでほしい。
スト・ファイのHPでもここでも。アルバムもいい仕上がりになりそうだ。
久々
2003年02月24日(月)
ごめん、久々。レコーディングは完了!
マジでいい作品になった。前回番組のオン・エアーの感想ありがと。
今日のスト・ファイで(関東地区)で2コーラス目も聴いてもらいうよ。
また何か感じたら書き込んでみて。
今日は今同級生と飲んでる。広島の女学院大学の助教授をしてるんだ。
地理学の研究をしてるらしい。色々話してると勉強になるよ。
授業を受けてる感じ。(笑)珊瑚礁を見るだけで何百年前に地震があったかわかるらしい。
何にしても極めるって奥深いよ。この同級生(木本くん)も高校時代はロックに夢中だったのにー。
「おまえがむかしと変わらず音楽だけやってるのが励みになってる」って言ってくれた。
うれしい。お互い好きな事だけをやれてて幸せだな。
色々たいへんだけど。(笑)
今、広島。
2003年02月26日(水)
今、広島です。
バンドコンテスト(サンモールムーブメントフォーカス)の審査員で来てる。
明日はデモテープ審査。4月の本選にも審査で参加する予定だ。
何だか凄い数のデモテープを聴くらしい。(@_@)
会議室に缶詰だな。いいバンドに逢えるといいな。
2003年3月
石垣島
2003年03月06日(木)
今、石垣島。始発の飛行機だったのでまたしても完徹。
飛行機が視界の関係でなかなか着陸できず、
機内アナウンスが「宮古島に着陸する事もあります」って困るよー。
結局上空をグルグル回って無事石垣に到着。よかった。
今日は一日リハーサルと取材でいっぱいいっぱい。
夜は出演バンドの練習をスタジオに観にいったり
これまた出演するサンシン(蛇皮の三味線)を弾く男の子の家に
家庭訪問(笑)に行ったりと忙しかったよ。
みんな純粋でいい子ばかりだ。
残念ながらまだ石垣の島を全然みてまわってない。
明日はイベント本番だ。
歌。
2003年03月11日(火)
歌い続けるよ、永遠に。みんなを待たせたり心配させてごめんね。
YASSについて色々書き込んでくれてる事すべてに愛情を感じてる。幸せ者です。
俺にとってファンクラブのみんなをはじめ、ライブを楽しみにしてくれてる人、
気に掛けてこのHPを覗いてくれてる人達すべてが大切な家族のような存在だと想ってる。
音楽業界に入って13年目。色んな事があったよー。
でも歌うことをやめようと想った事は一度もない。これからもないだろうな。
様々なものにチャレンジし続けてきた。そして評価されたりされなかったり。(笑)
でも「次は何してやろうか!」ってテンションを高められるのは
応援してくれるみんながいるからです。
東京での音楽人生はローランで始まった。そして第2の音楽人生がストリート。
あの頃の応援隊の熱い想いも決して裏切りたくない。
今、テレビというメディアの中心にいてジレンマを感じてないと言えば嘘になる。
でも札幌から石垣島まで、遠くはパリにまで自分自身で足を運び
イベントを通じて手応えを感じてきたよ。シーンは広がってると確信してる。
手売りによる大きなライブに挑戦するアーティストもたくさん出てきたし。
空を見上げると想う。石垣島でも想った。空はひとつなんだなって。
同じ空の下でみんながんばってんだなって。
戦争が起こるかもしれない。失望感でいっぱいの時代。
でも“同じ空の下”“ストリート”をキーワードに新しい絆が生まれると想った。
ジャンルが違っても、活動する場所が違っても。
生まれた環境や肌の色、国や宗教が違っても仲間になれるんだって。
このメッセージだけは胸に刻んで『スト・ファイ』をやっていきたいよ。
YASSとして表現したい事はたくさんある。
確実にカタチにしていきたい。楽しみにしててほしい。
その中の一部はランブラーズのSONNYさんに任せる事になりそうだが。(笑)
みんなありがとな。
P.S
石垣島リポートはまた書こう。
平和
2003年03月12日(水)
正月、広島に帰った時にひさしぶりに原爆資料館にいったんだ。
忘れてはいけない過去の悲しみ。
東京へ来て驚いた事のひとつに“原爆に対してのみんなの知識の無さ”がある。
子供の頃から教育に刷り込まれてたし、ケロイドの先生がいたりお婆ちゃんに話をきいたり。
スト・ファイのイベントで一緒に司会をしてるベートーベン。
奴らも広島出身だが彼らのような若い世代でさえ原爆について熱く語る。
その事を想い、話すたびに前にも日記に書いたが
世界でただひとつの核による被爆国《日本》がなぜもっとメッセージを発信しないのかっておもう。
フランスのシラクが今はムキになって武力行使に反対してるが
何年か前は世論を無視して核実験した奴だしなぁ。
すべてが政治的で大人の都合で・・失望感でいっぱいだね。
俺たちで何かできないかな。
Peace is in owr Hands!
平和は僕達しだいなんだよね、きっと。
明日。
2003年03月16日(日)
今、携帯から日記を打ってた。今日のストーズライブ・レポ。
かなりの感動の長文を打ち終え送信する瞬間に友達からメール。
せっかく打った日記全部消えた。あームカツク・・。
なので明日書く。石垣リポも。あーもうっ。(-_-メ)
ストーンズ・ライブ
2003年03月17日(月)
ドームの初日に行って来たよ。「もうこれが見納めかも」っていう
思い入れみたいなモノが熱気になって立ちこめた客席はかなりハイテンション。
開場中に流れてるSEのブルースナンバーが一曲終わるごとに拍手喝采だし。(笑)
なのでストーンズが登場した瞬間にいっきにエクスタシー計は針を振り切った感じ。
オープニングナンバーは“ブラウン・シュガー”だった。
キースとロニーの《ギターリフ黄金の絡み》鳴り響いたと同時に鳥肌どころかもう鶏冠も生えたよ。
そして2曲目“スタート・ミー・アップ”。ミックの動きもいきなり軽快でセクシーだったよ。
興奮してたので曲順はここからは定かではない。ミックのMCはほとんどが日本語。
さすがだね。世界一のR&Rバンドだ。よく外タレのバンドで来日して
「ファックユー」みたいな事ばっか言ってる奴らいるじゃん。バカにしてるなってムカツクもんな。
いつものようにキースの歌声を2曲堪能し、“悪魔を憐れむ歌”のフレーズにのってふたたびミック登場。ライブの中盤にはアリーナの真ん中に小さいステージが出現。
メンバーはそこに移動した。これがマジよかったよ。狭い間隔での佇まいが。
ライブハウスな感じ。マーキークラブでやってた頃はこんな雰囲気だったのかなって。
まあ観客は5万人いるんだけどね。(笑)ここでいきなり“イッツ・オンリー・ロックンロール”だもんな!まいった。
そして“ミッドナイトランブラー”はもう圧巻だった。
「俺たちのルーツはただのR&Bさ」と言わんばかりのソリッドなプレイがたまらなかったよ。
後半はまたビックステージに戻ってのヒットナンバーの雨や嵐や。
“ギミー・シェルター”からはじまって“ホンキー・トンク・ウィメン”だ。
初来日の時は巨大な女性の形をしたエアー人形が登場したが
今回はシンプル。でもVJが最高にかっこ良かったよ!
そしてそのままアンコールの“サティスファクション”までパワー全開で行き切ったぜぇ!
聴きたい曲がありすぎてあれもこれもって気持ちになるよな。
今回はバラード系がなかったよ。“愚か者の涙”とか“アンジー”や“ルビーチューズデー”なんかも聴きたかったけどねー。
いずれに大満足のライブだった。ストーンズは色んな事を教えてくれた。
迷った時やへこんだ時にみるビデオや本のアイテムの中に
《ローリング・ストーンズ12×5》と《ストーンズ・ブック》がある。
やりつづける事、転がり続ける事。IT'S ONLY R&R
続き
2003年03月17日(月)
あれ?途中になったので続き。
ミックが最新のインタビューでいつまでストーンズを続けるのかっていう質問に
「やめる時は死ぬ時さ」だって。かっこええのー。
“たかがロックンロール、だけどそいつが最高なのさ”
彼らのこの言葉に何度となく救われた。
マジすぎてもだめ、遊び心がなきゃ。でもただの遊びじゃない。人生をかけて最高の歌を歌うんだって。
さらにP.S
ビリー・ジョエルの事故は大丈夫そうでよかった。彼も俺にとっての大恩人たので。
ライブが観たいよ。
芝居観賞
2003年03月18日(火)
今日はこまつ座のお芝居を観に行った。井上ひさしの作「人間合格」。
太宰治の半生を史実に基づきながら人間模様を描いたパロディー。
シュールでブラックな言葉あそびに溢れててとてもおもしろかったよ。
戦時中のアカ狩り体制を時代軸に全体をユーモアに包みこみながらも
そこには一本スジの通った反戦メッセージがあった。
色々考えさせられたしね。帝国主義時代の日本〜みんな無口になっていった〜ってくだりがあったけど、
まさに今の北朝鮮だな。自分の言葉を持てない環境。僕らは幸せな時代に生きてる。
またそう想った。自分の言葉をロックにのせて表現できるんだもんね。
愛の手紙
2003年03月19日(水)
“5千円ずつ健と康にやってください。あとはあなたが使いなさい”
おばあちゃんがおふくろに送ってきた何通もの手紙。
封筒にはそれだけ書いてある手紙と2万円。毎度同じ短い文面。
数年前におばあちゃんは亡くなった。ライブツアーに出てた俺は葬式にも出れなかった。
今もそれを想うと胸が痛む。
おばあちゃんは俺たち兄弟をほんとに愛してくれた。
それは真実で絶大で無償の愛だった。父親に捨てられた悲しみを胸の奥に押し込んでる幼い孫。
そんな俺達を「もう決して傷つけない」きっとそういったやさしく強い決心のようなものもあったのかもしれない。
何年かぶりにそのおばあちゃんの手紙が出てきたと昨夜おふくろから電話があった。
「読んでて涙が止まらなかったよ」って。愛された記憶は消えない。
真実の愛は色褪せる事なく心の中に生き続ける。
俺もおばあちゃんみたいに人を愛したいな。
世界中のすべての人が誰か一人にでもその想いを注げたら。
一日に一度愛されたことを想いだせたら。
きっと戦争なんてなくなるのにって想う。
歌おう。
2003年03月22日(土)
愛された記憶、実感があるから人は生きていけるんだね。
戦争がはじまった。
みんなでイメージしよう。世界中の人が笑顔で歌ってる姿を。
悲しい過去、ジェラシー、コンプレックス、優越感、すべて消しさって歌う姿を。
国籍、宗教、思想、肌の色、すべて超えて歌う姿を。
願いをこめて今から歌を書くよ。
明日ハチ公前で歌おうと想う。
昼2時くらい。ここから少しづつ仲間が増えていけばいい。
歌おうよ。
2003年03月24日(月)
とても久々の路上は「ただいま!」って感覚だった。
作った歌を歌いたかった。「自分も歌いたい」って人がいたらその場で教えていっしょに歌いたい。
ひとつの“愛の詩”をみんなで歌う。はじめて会った人もいっしょに歌う。
誰だって参加できる。音痴な人だって全然かまわない。
多くを語る必要はない。難しく考える事もない。
それぞれが大切な人を想い浮かべながら歌えばいい。
それだけでメッセージになる。そう想う。
政府にアピールするっていうのとも違う。自分自身がかみしめたい。
そしてきっと広がってく。
寒い中歌ってくれた人、ありがとう。
行きたいって想ってくれた人ゴメン。次は早めに日記に書くね。(笑)
今日は横浜に『NU』を観にいった。手売りでの1000人ライブ。
満員にこそならなかったがとてもいいライブだったよ。
あいつらから相談とかもされてたし、番組を通して応援してきたしね。
ほんとがんばったと想う。お客さんも暖かかった。
次へのステップアップに期待したい。
やりとげた事は財産になる。それを大事に生かしてほしい。
愛を歌おう。
2003年03月26日(水)
3月28日(金)夜の8時から渋谷ハチ公前で
ピースパフォーマンス『愛を歌おう』を行なおうと想う。
一曲を何度も合唱する。それぞれの大切な人を想い浮かべながら。
どんな世界でもどんな時代でも変わらないもの。
きっとそれは自分の心の中にある形のないもの。
だから歌にのせよう。何が真実かわかんなくなったときは立ち返るべきだな。
人が生きていくための核になる大事な想いに。
たくさんの笑顔
2003年03月30日(日)
金曜日の【愛を歌おう】はほんとやってよかった。
急だったにもかかわらずたくさんの人達が集まってくれた。ありがとう。
たくさんの笑顔に逢えた。アーティストのみんなも理解してくれてた。
「YASSさんは戦争反対なんて一言も言わず、ただ大切な人の事を思い浮べながら歌おうとしか言わなかった。そこに感銘した」
アーティストのみんなからのメールとかにはこういった内容が多かったな。
今はとても複雑で矛盾だらけ、何が真実かわからない。メディアも信用できない。
だからこそシンプルに歌いたかった。みんなでそれぞれの想いをこめて歌いたかった。
あの夜、あの場にいた人たちはみんなやさしくて、いい顔してた。
個々の意見や主張を細かく聞けばきっと色々別れるんだと想う。
でも想いの根本はきっと同じ。「もう少しちゃんと考えてから参加したい」
と断った人もいたがそこには誠実さを感じたりもしたよ。
考えたり、思い出したり、気付いたり、そのきっかけになってくれればうれしい。
またやる。続けないと意味がないと想うしね。
2003年4月
愛を歌おう、再び。
2003年04月03日(木)
明日の4日、金曜日夜8時からまたピースパフォーマンス“愛を歌おう”をやります。
継続する事でやさしい気持ちは広がってくと信じるよ。
前回来てくれた人もはじめての人も、みんなで歌おう。
「さぶいっ」って感じで通り過ぎてく人もね、いつか振り向き立ち止まってくれるよ。
YASSファンは知ってると想うけど俺はひつこくやりますから。(笑)
ご無沙汰。
2003年04月25日(金)
ご無沙汰。旅帰りで風邪ひいちゃってた。咳だけまだとまらん…。
広島のサンモールインディーズバンドコンテストの審査員で呼ばれて行って来た。
遅刻して会場について、スタッフの人にうながされ急いで審査員席に座るとすぐにコンテストがスタート。
司会の人が「まずは審査員の方を紹介します。まずは審査委員長のYASSさん!」って…
俺、審査委員長!?聞いてねぇ!(笑)
授賞式でもトロフィーのプレゼンターもやったりして、無事に終わった。
ふるさとに元気なバンドが沢山いて、嬉しくなった。次の日は大阪で、途中下車。
ぶんやともあきと曲の打ち合わせをした。ぶんともの二人と過ごす時間は、とても幸せだ。穏やかな時間が流れる。
今更ながら、こいつらに出逢えて良かったと思う。
「笑っていこう」も好調で、毎日沢山の注文メールがきてる。
いい歌が自然に広まってゆく、そんな世の中であってほしい。
ぶんやともあきの歌は、きっと日本中に広まっていくよ。
それからね「愛をうたおう」のレコーディングをやった。歌のパワー、マンパワーを改めて感じた。
5月にもう一度スタジオに入って完成させる。また沢山のアーティストに集まってもらいたい。
ストリートでピースパフォーマンスが、一度残念ながら雨で中止になったからね。
でも今後も続けていくつもりだよ。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」のメイキングビデオを久々に観た。懐かしかったー。
歌もダンスも天才的で、ソングライティングの才能もあって、子供の頃から大スターで…。
神様に選ばれた人なんだから、人がどうのこうの言っちゃダメだよね。そう思ったよ。
HYオリコン1位!
2003年04月27日(日)
HYのアルバム「ストリートストーリー」がオリコンチャート初登場1位!!
インディーズバンドでは史上初の快挙だ。
デビューの時から同じプロジェクトでやってきたから、ほんと嬉しいよ
いっしょにパリに行ったり、石垣島行ったり、色々あったなぁ。
スト・ファイの番組から大ブレイクアーティストが出る事をめざしてやってきたから。
うん、感無量・・。
番組から、ストリートから、HYに次ぐ第二第三のアーティストに出てきてほしい。
スト・ファイ始まって1年と4ヵ月。地道にやってきてほんとよかったー。
2003年5月
タイガース魂!?
2003年05月01日(木)
29日の木曜日、近畿地区のアーティストが集まって「春のスト祭〜fast.Street fighters〜」が行われた。
「関西のパワーを見せたい」という彼ら自身による企画だ。
先月のミーティングには俺も大阪まで行き参加した。俺なりのアドバイスをして帰ってきた。
そして当日。リハーサルからみんなテンション高い高い。
俺が会場についた時、大阪人ならではのリアクションで「よく来てくれました!」と土下座で迎えてくれたよ(笑)。
今まで横の繋がりがなかったという彼らが、ストファイを通じて仲良くなったのは嬉しい。
今回のチケットを売っていく中で、弾き語りのアーティストが苦労してる時に、
他のバンドのメンバーがギターやサックスでサポートしてやって手伝ったりしたらしい。
"同じ空の下の仲間"という意識が、ジャンルを越えて浸透し始めている。ミーティングにも駆け付けたかいがあったな。
それぞれのライブもよかったし、一つのイベントを成功させようという共通意識がステージに溢れていた。
横浜からはN.U.もゲストでやってきてくれた。彼らは地元が大阪だしね。
最後のセッション曲「大阪パラダイス」はもも色パラダイスと一緒に今回のイベントを企画した"U.H.Garden"の書き下ろしだ。
SOLD OUTのアムホールは誰一人帰ることなく最後まで盛り上がりっぱなしだったよ。
最後にステージにかつぎ出され、閉会の言葉を込めさせてもらった。
「東京には負けられないです!」打ち上げでの彼らの言葉に打倒ジャイアンツのタイガース魂を感じたよ(笑)。
成功して良かった。みんな頑張った。「夏にはもっとデカイとこでやろう」と約束をして帰ってきた。
渋谷イベント
2003年05月03日(土)
渋谷カフェネスカフェでスト・ファイ収録イベントが行なわれた。
ストリートファイターズ@渋谷は今日で10回目。
節目のイベントらしくいいアーティストが集まってくれて盛り上がったよ。
去年から今年にかけて札幌から石垣島までイベントをやってきた。
そんでもってパリにまで行ったりして。
だけどやっぱり渋谷が原点だからね。ここは中心として続けて行きたい。
“愛を歌おう”完成。
2003年05月09日(金)
4日の日曜に再びスタジオに入った。沢山のアーティストが集まってくれて、嬉しかった。
レコーディングを始める前にエンジニアの人やスタッフにも、そして歌ってくれるみんなにも俺から主旨説明をさせてもらった。
この歌を歌ってる4分半の間だけは、同じように愛を感じていたい。
みんなにも、もうすぐこの音源を届けられると思う。
とても力強く暖かいメッセージソングに仕上がったよ。
ストリートでのパフォーマンスも再開しようと思ってる。
母の日
2003年05月11日(日)
母の日。今年も花を送ったよ。メッセージも添えて。
毎年欠かした事はないな。それから先日、テレビを買って送ってあげた。
この間実家に帰った時、テレビが寿命きててね。
音声がでっかくなったり小っちゃくなったりしてたから。(笑)
「これでまた“みちばたのうた”が観れるよ」って電話があった。
親ってありがたいと想ったよ。(笑)
「みんなが紙テープ投げてくれるシーンは何度も巻き戻して観る」らしいからね。(笑)
みんなは母の日はどうした?喜ばせてあげてほしいッス。
自分を生み育ててくれた人だからね。
素晴らしい唄うたい。
2003年05月13日(火)
昨日は矢野真紀ちゃんのライブに招待されて観に行った。
渋谷AXは満員だったよ。CDは聴かせてもらってて凄く興味あったし、
生うた聴けるを楽しみにしてたんだ。
いやー、ほんとよかったよ。素晴らしい唄うたいだ!
彼女もきっと“歌う事=生きる事”な人だとおもった。
同じ血が流れてるなって。
時には深呼吸をするように、時には小さな吐息のように。
メロディーは聴く人の心に染み込む。
真紀ちゃんも「愛をうたおう」には共感してくれてるらしい。
今後、コラボレートできたら素敵だなと想う。
マンマ・ミーヤ!
2003年05月14日(水)
打ち合せを終えて劇場に駆け付け、なんとか間に合った。
今日は劇団四季「マンマ・ミーヤ」を観に行った。
ミュージカルは楽しい。どこかに“音楽の星”みたいなのがあってさ、
そこでの暮らしや会話にはいつも歌やダンスが溢れてる。
その中の“歌の国”での日常を垣間見てるような不思議な楽しさ。
ミュージカルが苦手な人もいるよね。「不自然だ」とか「テンション高過ぎ」とか。(笑)
わかる気もする。でも良い作品ってきっと流れいいんだろうね。すべての感情の流れが。
言葉が歌になっていき、何気ない仕草がダンスへと変わる心的必然とでも言おうか。
まあ俺なんて「いっぱい稽古したんだろうな」って想っただけで感動しちゃうからなぁ。(笑)
「マンマ・ミーヤ」はABBAのヒットナンバー22曲から構成されてる。
改めて素晴らしいメロディーセンスに感激した。
ストーリーに合わせたセリフ的日本語詞は今ひとつだったけど。
でもほんと最後まで楽しめたよ。なんか前向きな気持ちにさせてくれるっつーかね。
とにかく前田美波里さんはきれいだったな。ミュージカルスターって感じだった。
ハイ・テク食堂
2003年05月16日(金)
今まさに六本木ヒルズと呼ばれるトコに毎日のように行ってるのだが
最近やたら人が多いよ。観光に来てる人がたくさんいるらしく、
ちょっと店に入るにも行列だったり。なので今日はテレ朝の新社屋の社員食堂で昼メシ食ったよ。
お盆に好きなオカズをのせてテーブルに座る前に会計をすませる。
だが食券買ったりする必要はないんだよ。会計機の上にトレイごと置くだけで自動精算!
凄いよな。食器ひとつひとつの裏側に磁石みたいなセンサーがついてて勝手に計算される。
ごめん、うまく説明できん。(笑)しかし焼き魚や納豆がのったお盆を置くだけだからねー。びっくりよ。
後はカードで引き落とし。なんかハイ・テクじゃのう。
俺達がガキの頃に描いてた未来都市に近い時代になってるよね。
憧れた小型通信機や腕時計のトランシーバー。
これがあれば、夜中でも歩きながらでも友達と応答できるのにって想ってた。
それがまさに携帯電話だもんね。(笑)いやー便利な時代だ。
でも人間は便利になればなるほど怠け者になっていってるんだろうな。
地球を壊しながらさ。
まあとにかくびっくりだ。
未来食堂で食べた焼き魚や味噌汁の味は・・・なんら変わりはなかったけどね。
ぶんやライブ
2003年05月17日(土)
今日、四谷天窓に“ぶんやともあき”が出演する。
昨日、選曲&曲順ミーティングしたしきっといいライブしてくれるよ。
楽しみだ。
楽しかった!
2003年05月31日(土)
大阪に行ったりでバタバタしてた。夏に大阪でデカめなスト・ファイのイベントをやろうと想ってる。
今日はストファイのアーティストのJINDOUのライブだった。楽しかったー。文句なしに。
歌もダンスパフォーマンスも、途中の寸劇も!?とにかく盛り上がったよ。
彼らによる名曲「なごり雪」のカバーシングルが今売れてるんだが、
今日のライブになんと本家本元のイルカさんがスペシャルゲストとして登場!
生イルカで生弾き語り「なごり雪」が聴けたよ。嬉しかったね。
いや、ほんと心から楽しめるライブだった。ライブの模様は番組でも流すから是非観てほしいぜ。
2003年6月
本能の小走り
2003年06月02日(月)
ジャック・ニコルソンは尊敬する俳優の一人。
「カッコーの巣の上で」「シャイニング」「チャイナタウン」あたりが好きだな。
あと「愛と追憶の日々」での宇宙飛行士役もよかった。
映画と言えば、俺ってレンタルビデオ延滞しすぎだな。
この間なんて、つまんない映画を4日間位延滞しちゃってね。もったいない。
ハリウッド版「リング」なんだけどね(笑)。
「リング」を返しに行った時の事。店員さんが新人アルバイトらしく、慣れてない感じでね。
「返却承りました。ありがとうございました」って言うもんだから、
俺的には「いいの?ラッキー」とか思ってしまってね(笑)。
かなりの早歩きでエスカレーターに向かってる途中で、
「あっ!お客様すいません!延滞なさってます!」って呼び止められた(笑)。恥ずかしかった。
て言うか俺ってせこい(笑)。かなりの早歩きだったからねー。
借りた映画がつまんなかったし、本能の小走りでした…(笑)。
でも延滞料金は払いましょう。
こち亀
2003年06月06日(金)
亀有にあるスタジオへ女性ボーカリストのレコーディングを観にいった。
若干20歳の彼女は作詞作曲も手懸けコーラスアレンジも自分でやる。
そんでもって歌入れのディレクションも本人がやってる。
洋楽で育った彼女が操る日本語での言葉遊びは新鮮で楽しい。
まだあどけない顔をした少女が持つ大きな可能性に胸が高鳴った。
うん、驚いたよ。
もっともっとカタチが見えた時には、みんなにも聴かせてあげたいと想った。
話は変わるが俺が小学生の頃「キャンディー・キャンディー」が大ブームでね。
男子女子の垣根を越えて大人気よ。(笑)
いやー心癒される漫画だったんだよね。それがここ6年間、著作権を争って裁判合戦だったんだなんて。
みんなは知ってた?結局作画家のいがらしゆみこが最高裁で敗訴。
もう彼女は法的にはキャンディーの絵は使っちゃいけないらしい。
色々やらかしたみたいでさ。
多くの女性ファンが傷つき悲しんでるみたい。
良き思い出を汚された感じなんだろうね。漫画の主人公キャンディは自分より他人の幸せを願う娘だっただけになぁ。
ライブはしご
2003年06月09日(月)
昨日は久々に赤坂ブリッツに行って来た。
GOING UNDER GROUNDのライブを観に行った。やっぱブリッツはいいね。でっかいライブハウスみたいで。
事務所の社長の立川さんに招待してもらいました。
GOINGの曲は好きだ。ノスタルジアなロック。決して音楽的に懐かしいとかじゃなくて自分の想い出の中を彷徨い歩かせてくれる感覚。
歌に対しての誠実さも感じた。
今、ある企画があって、彼等と一緒にジョイント出来ないかなと思ったりしている。まだ全然分からないけどね。
その後、中目黒にある「楽屋(らくや)」というお店に行った。古くからの友人のライブだ。
DOVEのボーカルだった、ヤンズのソロライブ。
やつとは高校時代からのバンド仲間で、その頃バイトも一緒だったよ。
一曲飛び入りして歌った。「Brain Washing」というロックンロールナンバー。何年かぶりだったけどバッチリだったよ。
まあ、腐れ縁だね。(笑)
ゲリラライブ
2003年06月10日(火)
今日(9日)、六本木ヒルズの中でB'Zのゲリラライブが行われた。
俺は何日も前から知らされていた。ストファイのアーティスト達に見せてやろうと言う事で急遽ぶんやともあき、サスケ、やなわらばー、空(koo)などを連れてった。
ゲリラと言ってもものすっごいスタッフの数で、整理券まで配られてて、機材やカメラセットも凄いしどこがゲリラじゃーみたいな感じだったよ。
関係者席のイスが30席くらい用意してあって、しかもステージの目の前でB'Zが出て来た時にどうリアクションとっていいものやら困るほどの特等席だった。(笑)
俺らの後ろには柵があってモノスゴイ数の一般の女性ファンがひしめいている。
そしてB'Z登場。ナマ稲葉だよ。一曲限りのステージだったけど悲鳴のような声援がヒルズ中に響き渡った。
俺たちも立ち上がるしかなく、手拍子なんぞしてたら後ろの熱狂的なファン達が「関係者でファンでもないんなら座っててよ!稲葉さんが見えないじゃん!!」などと怒鳴られた。
怖かった。
夜はぶんとものライブだった。下北沢440初出演。
まったく力の入ってないゆるい感じのあいつららしいライブだった。B'Zとは全く対照的でね。(笑)
新曲の「海」をやってみたんだけど良かったよ。
来月7月8日に同じ下北沢440でぶんやともあき東京初ワンマンライブをやります。
まとめ書き
2003年06月18日(水)
久しぶりなので、何日分かまとめ書きする。
週末は、大阪だった。天気はあいにくな雨。
まあ、打ち合わせばっかりだったんですけど。
来月大阪のスタジオでレコーディングする。大阪在住のあるバンドが全国CMソングに抜擢されてね。そのバンドから色々相談を受けてたんだけど、急遽CD発売する事になった。一応その曲に関しては、プロデュースする事になったよ。
月曜日、東京に帰って来た。夕方からHYの「STREET STORY」祝賀会&授賞式があった。ヒットを記念して、賞状と楯が贈られた。
本人たちも高校の卒業証書以来だと言って喜んでたよ。一応俺もスピーチしました。HYのメンバーからは未だに「YASSさん飛行機で煙草吸ったらだめよ」って言われた。(笑)
空の下で
2003年06月25日(水)
土曜日のラクアでのイベント「愛を歌おう」はたのしかった。
集まってくれたアーティスト達のそれぞれのライブもよかった。
そして最後の<愛‥歌>の合唱も。アーティストのみんな、来てくれたお客さんに感謝したい。
ステージも新しくてきれいだし天気もよかったし、遊園地で楽しい気分だし。
音楽、歌は人をやさしい気持ちにしてくれるね。歌って物凄くパワーがある。
他の仲間の歌声を聴きながら、そして自分自身歌いながらあらためてそう想った。
この日配ったCDのジャケットはスタッフが仮で急遽つくってくれたもの。
これからいろいろと進化していくと想う。
送別会
2003年06月29日(日)
『ストリートファイターズ』の制作スタッフが6月いっぱいで変わる。
昨日は送別会。3次会まであり朝まで飲んだ。
1年半一緒にやってきたからね、寂しい。
全国いろいろ行ったし。テレビの世界にかんして勉強させてもらったし。
朝方にはみんなで「スト・ファイのアーティストしりとり」を延々とやってた。(笑)
マニアックなアーティスト名がバンバン出てきてね(笑)ほんと愛情をもって一生懸命やってくれてんだなって思ったよ。
ほんとに出会ってよかった人達。またいっしょに仕事したいし、これからもたまに集まって飲みたい。
7月から新たなスタッフでストファイを作っていくけど、みんなに恥ずかしくないよりいい番組を作っていきたい。
2003年7月
行って来ます!
2003年07月23日(水)
明日の前夜祭から、フジロックに行って来ます。
ピースフルな空間で、ステージで、歌ってくるよ!
楽しみたいな。
コステロとジョンメイオールは観たい。
「愛をうたおう」もきっと盛り上がるはず!
CDジャケットも完成したし、フジロック後も仕切直しで、
ストリートをやっていこうと思ってるよ。
フジロックから
2003年07月25日(金)
昨日は前夜祭。かなり盛り上がった。行ってみると友達が関係者でいっぱい来てて楽しかったよ。
飲んだ飲んだ!(^O^)/
そして今日は初日。ずっと雨が降りっぱだったけどやっぱり来てよかったって想ったよ。
アバロンでのスト・ファイステージもいいライブでした。
谷本光のギタープレイにフジのオーディエスも驚嘆してたし、
ぶんやともあきはガツンと聴かせてくれたし。ぶん・ともとコラボレートしたバジョカの詩もよかった。
ストリートファイターズチームがんばりましたー。司会者に「プロデューサーから彼等について一言どうぞ」といきなりステージに呼ばれたりしたけど。(笑)
とにかくレインコート来て頭にタオル巻いてサングラス。あやしいカッコで動きまわっとります。
明日は晴れるといいな。
FUJI ROCK FESTIVAL'03
2003年07月28日(月)
帰ってきました。
向こうはほとんどケータイが使えない状態だったよ。
1日目、2日目は雨。足場はドロドロ。移動するのも大変だった。
でも広大な敷地に巨大ステージがいくつもあり、何万人ものロックファンが自由に楽しむ様は、ホント素晴らしい。
番組ロケで昼間は動き回ったが、比較的夜は色んなアーティストのライブを観れたよ。
THE MUSICのライブがよかったな。俺好みのロックバンドだ。
Bjorkも観れた。素晴らしかった。
あとSTEVE WIVWOODも最高。憧れの人だったし。
何か褒めちぎってばかり(笑)。
超一流のアーティストは、やはりライブも一流だね。
3日目は「愛を歌おう」。
前の晩、ホテルの部屋で、てるてるぼうずを作った。ティッシュで(笑)。
朝起きてみると、何と快晴!てるてるパワーすごい!
フジロックで知り合ったアーティスト、はじめにきよしさん。
ピアニカとギターで素敵なパフォーマンスを見せてくれる人達だ。
「愛を歌おう」の話しをしたら、参加してくれるって言ってくれた。
あと矢野真紀ちゃん。「愛を歌おう」に前から賛同してくれててね、参加してくれる事になった。
それから「一緒に歌いたい」とチケットを買って、しかも東京から自転車で駆け付けてくれた"星忍"。
チャリだよチャリ!(笑)。
そして、ストファイから連れて行ったアーティスト達。
みんなで想いを一つにして、FUJI ROCKのステージに立った。
ステージ上で何度かリハーサルのように曲を繰り返した。
少しずつカタチになった。
想いと演奏が完全に重なったラスト・テイクは感動的だったよ。
「愛を伝えよう」という事で、持っていった無料配布のCDも全て無くなった。
苗場で出逢った人達と、一つの歌で繋がった。
それぞれが自分の日常にその「歌」を持ち帰って、そこからまた広がってくれたらホントに嬉しい。
「いい歌だったな。あいつにも聴かせてやろう」みたいにね。
その後はフリーマーケットでの矢野真紀ちゃんのストリートライブに飛び入りをしたりしたよ。
二人で生で「愛を歌おう」をやった。
夕方、ゴンドラに乗って見渡したFUJI ROCKの全景は、目に焼き付いてる。
最後にコステロのステージを見に行ったが、これがまたまた最高で(笑)。
途中「おばけカフェ」での打ち上げに参加したので、ライブを全部見れなかったのが残念だけどね。
音楽って人を動かす力があると改めて思った。
歌を唄っててよかったなぁってね。
FUJI ROCKのスタッフの人達から「すごくよかったんで、是非来年も!?」って言ってもらえたし。
来年また苗場へ行くぜ。
ストファイで2週に渡ってやるので楽しみにしててほしい。
2003年8月
円熟ロックンロール。
2003年08月04日(月)
ハードで楽しい4日間を過ごせたFUJI ROCKも終わり、東京での忙しい日々が戻ってきた。
先週は橋本優樹の初ワンマンを観に行ったり、サルーキ=の吉祥寺でのライブに顔を出したりした。
どちらも気合いの入った良いLIVEで嬉しかったよ。
昨日は久々にLORANでスタジオに入った。
8月6日の広島ナイトは、後輩ばかりだし、最年長バンドなので(笑)、円熟したロックンロールをみせたい!
それでいて荒削りなヤツを(笑)。
この間、ある知人と朝まで飲んだ。それで映画の話になってね。
彼のお父さんは映画の美術をやってた人で、何と黒沢明監督の絵コンテを3枚持ってるんだって!
しかも監督を途中降板した「トラ-トラ-トラ」の絵コンテ。幻の絵コンテだよ。
ハリウッドとの合作だったこの作品は、別の監督で完成しその後、黒沢監督は自殺未遂騒動を起こすんだけど…。
「何でも鑑定団に出したら!」と思わず、普通すぎてつまらないリアクションをしてしまったが(笑)。
映画ファンのコレクターなら泣いて喜ぶ一品。
俺の家って、お宝グッズは何もないなぁ。
みんなの家にあるお宝って!?
今日は広島ナイト
2003年08月06日(水)
あ〜!もうこんな時間だ。今日は久々のLORAN。
楽しみじゃ。もう寝よ。オヤスミ。
広島ナイト楽しかった!
2003年08月07日(木)
今、打ち上げから帰って来た。いやー楽しかった!
LORAN燃えたよ。後半の゛ダストマン"の時、
ステージにオイスターズのオサムや出番前のカレイドスコープの石田を乱入させたりしておもろっかったな。
あとたまたま遊びに来てたフィールド・オブ・ビューのVOCALのアサオカ も呼び込んだ。全然広島に関係ないのに。(笑)
デビュー前からの仲だっつう事で。(笑)
吉川晃司や元ボクシングチャンプの竹原氏等のビデオコメントも流れたりで広島ムード一色。
最後のセッションは出演者全員で「愛を歌おう」を合唱した。うれしかった。
終わってから後輩たちみんなに「LORANと同じステージに立ててうれしいっス!」とか言われてまたまたうれしかったよ。(笑)
とにかく楽しいイベントだった。
世代やジャンルを越えて同じ故郷の仲間が集まるっていいね。
「歌い続ける事の大切さや意味をYASSさんに教わった」
後輩達からのこの言葉にはあらためて身が引き締まったかな。
台風だね。
2003年08月08日(金)
番組のナレーション録りをした。フジロックの特集に関しては俺自身で語る構成になったから。
みんなにはオンエアーを楽しみにしててもらいたい。
明日晴れるといいな。「愛歌」は少しくらいの雨でもやるつもりだよ。
しかし今日は一日が長かったぁ。なのに一年はアッと言う間に感じる…。歳のせいか!?(笑)
まあ今だに「ヤスさんって20代後半?」って言われたりする“永遠の少年”の俺には関係ないけどな! (^O^)/
ただ今スタジオでTD中
2003年08月09日(土)
「愛歌」に来てくれたみんなありがとう。あまり歌えなかったけどやってよかったよ。
いやー、久々に警察につかまりました。八チ公前での路上はますます取締が厳しくなったね。
「代表者は交番まで来て!」と言われてね。「あそこで演奏したらだめだろうー」と何年かぶりに交番の中で説教されたよ。
「俺はみんなに愛を感じてほしかっただけだ。」って言ったら「はいはい、わかった。この始末書に名前書いてぇ」と軽く流された。(笑)
住所と名前は正直に書き、番地だけデタラメという何とも中途半端なことしたし。(笑)
「人差し指でここに押して。指紋とるからね。」と言われ
本能的におもいっきり強く押し付けてグチャグチャっと左右に動かしたら(笑)
「コラコラあまり力むと指紋とれないから。はいもう一枚」って出された。俺って往生際がわるっ。(笑)
詩人のバジョカが「ヤスさん俺もいきますよ」って言ってくれて「いや、俺ひとりでいいよ」って言ったまではカッコよかったんだが。(笑)
これからも色んな事を乗り越えてやってくよ。広島ナイトで始めて知って路上に来たという人も何人かいてうれしかったな。
ただ今スタジオでTD中。朝までコースかなー。
愛歌
2003年08月21日(木)
金曜日の「愛歌」は警察も来る事なく盛り上がった。フジロックで参加してくれた矢野まきちゃんも駆け付けてくれたし。
来てくれたみんなほんとにありがと。来れなかったみんな、いつも急でゴメン。
継続は力。これからもやさしい気持ちでいられる瞬間、空間をたくさんの人達と共有していきたい。
各地方のアーティスト達も共感しはじめてくれてる。うれしいよ。
この歌を歌おうと想った最初の想いや願いを忘れずにいよう。歌い続けよう。
〜Birthday Party〜
2003年08月24日(日)
先日、後輩の誕生パーティーがあった。
知人のマンション(凄い広い)で行われた。
各自が酒を持参onlyという事で焼酎を買ったんだが、多分みんなプレゼントも持ち寄るだろうなぁと思いあれこれ考えた。
ロックンロール好きで、ウッドベースを弾く奴なので(そのベースは盗まれたけど)ミュージックビデオを探した。
いつだったか、その後輩がチャック・ベリーとかストーンズが好きだと言うんだが、
そのわりには「ヤスさん、ストーンズは少しはチャック・ベリーの影響とか受けてるんですかねー?」と
トボけた質問をするので、
「ストーンズのデビュー曲は、チャック・ベリーのカバーだ」と教えてやった(笑)。
そこで「ヘイルヘイルロックンロール」という映画をプレゼントしようと思った。
これが何度見ても最高に面白い映画でね。
キース・リチャーズが憧れのチャック・ベリーのライブプロデュースをかって出るドキュメンタリー。
しかし、チャックがまたイカれた頑固爺であのキースも手をやいて最高に楽しいよ(笑)。
でもタワレコにも置いてなくてね。
悩んだ末、DVDが観れなくて俺の家に持ってきたりしてたなぁと思い、DVDデッキを買った。
何だかいきなりランクアップしてしまった(笑)。
本人には「これ3年分だから、この先当分ねえよ!」って渡した(笑)。
この日は朝方まで飲んで歌った。電子ドラムのセットもある家なので、延々とブルースを。しかも死語ブルース。
途中から、もう死語も底をついて思いつかなかったよ(笑)。
コーヒータイムでお菓子を食べてるときに「この味は小豆(あずき)が入ってんのかなぁ」と話してたら、
その後輩がお菓子のラベルを見ながら、
「ヤスさん、小豆は入ってないねー。こまめなら入ってますよ!」ってバカ丸出しな事を言ってた(笑)。
ジョージよ。そんなお前のままでいてほしい。
誕生日おめでとう。
あたたかい結婚式
2003年08月31日(日)
先週末に知人の披露宴があった。知人といってもほとんど親戚みたいな感じの人。
「19ナインティーン」などの監督、小松荘一郎さんの結婚披露宴だ。
20代をいっしょに駆け抜けた気がするし、人生の分岐点ではいつもいっしょにモノを作ってきた気がする。
俺が何か新しい事をはじめようと想った時は必ず彼に話をした。それは今も変わらない。
とにかくほんとにうれしい。他人の幸福が心から嬉しいと思えるって幸福だなと想ったりした。
新婦はタレントさんでね、実は小松氏が監督した「路上の詩」のPVにゲスト出演してるんだな。
しかもこのPV撮影を機にふたりは何年かぶりに再会した。
俺、この結婚にかなり貢献してるよ。(笑)
もちろん式場で「路上の詩」を歌ったし、新婦からのリクエストで「おまえが俺のために生まれた日」も歌った。
幸せそうな二人を見てて歌の途中で泣きそうになった。
仲間を大切にしてきた荘一郎さんらしいあたたかい式だったな。
この日映し出された小松荘一郎のわずか5〜6分の最新作。
小松監督自ら制作・編集した新婦の紹介&ヒストリーVTRは愛に満ち溢れた傑作だった。
2003年9月
9月に入った。
2003年09月01日(月)
先日、ブロッサムのワンマンライブを観に行った。
肩の力が抜けた感じで楽しめるいいライブだったよ。
バンドとしてもちゃんと進化してる。
初期の曲のメドレーもよかった。
ライブ後、会場の近くでメシを食ってたら、メンバーの父兄の方々もそのお店で食事をしていらっしゃったらしく、
わざわざ名刺をもって挨拶に来てくれた。
「これからも息子を宜しくお願いします」って(笑)。
俺は「いえいえ、こちらこそ。あいつら頑張ってるんで応援してやって下さい」って(笑)。
素敵なお父さん、お母さんだよ。
これからも、もっといい歌作って親孝行しろよ!って俺もかぁ(笑)。
そう言えば、東京に直下系大地震がくるって話だけど、心配だね。
みんな何が起きてもしぶとく生きようぜ。
その時は"Street singer Blues"通り、路上で歌って、みんなを
呼び集めるから(笑)。
そこでみんなでいいアイディアを考えよう。
members BBS より
ありがとう。
2003年09月04日(木)
たくさんのバースデイメッセージのメール&プレゼントありがとう。
男盛りのYASS!頑張るぜ。
その日、ストファイの番組構成会議の冒頭、拍手と共に誕生日ケーキが…。
ケーキには"カリスマYASSくん"って書いてある(笑)。
ろうそくの火を吹き消して、スタッフからのプレゼント。
包みを開けてみると、ピーズの散りばめられたポシェットだった(笑)。
何故ポシェットなのか!?これはフジロックの時「そこの俺のポシェット取ってくれ」とスタッフに頼んだところ、
みんなに大爆笑されたコトに繋がっている。
ウエストポーチって言うらしいな(笑)。
まぁ何にせよ、素敵なスタッフに囲まれて幸せ者だ。
〜ありがとう〜
みんなありがとなぁカッコよく歳を重ねていきたいよ。
この時代に生まれてきてよかった。歌を歌っててよかった。みんなと出会えてほんとによかった。
心から想う。母にも感謝、兄貴にも感謝。友達にも恵まれてる。幸せだ。
少々うまくいかない事があったって平気。がんばれる。
そしてもうひとつ言えるのはYASSファンは最高だってこと。
みんな愛を招き入れるやさしさを持った人たち。辛抱強く俺を見守ってくれるマニアックな人たち。(笑)
じじいになっても信じる事に突き進む自分でいたい。未来を感じながら今をちゃんと生きていきたい。みんなありがとう。
members BBS より
青春ヒッチハイカー
2003年09月07日(日)
朝、スタッフから電話がかかってきた。
2人の男が俺を訪ねて、テレ朝のストリートファイターズ事務局にやってきたらしい。
女性社員が出勤したら、エレベーターホールで2人は爆睡してたらしく、
「YASSさんに会いたいんですけど…」と言ってるとの事。
「アポはとってますか?」
「え!?アポなしです…」
という会話が交わされ(笑)、俺のとこへ連絡が入った。
昼過ぎに俺が到着すると来客ブースで2人とも爆睡してた(笑)。
2人は大阪のストリートアーティスト。
ヒッチハイクで東京へ来たんだって。
トラックや乗用車5台乗り継いで、朝8時に新宿に到着したらしい。
そして俺に会いに六本木へ。
新宿から大江戸線で1本なのに、何故か2人は浜松町まで電車に乗り、
そこからギターをかついだまま歩いて六本木に来たんだって(笑)。
野村君、志谷君。
いや〜若いっていいよ。ヒッチハイクの面白いエピソードを聞かせてもらった。
睡魔と空腹で疲れてたが、テンションは高かった。
メシに連れて行ってやりたがったが、俺もすぐ打ち合わせが入ってた。
「これからどうするの?」と聞くと
「はい。YASSさんに会えたし、これからもう北海道へ行きます」
「えー!?ヒッチハイクで!?」
「はい!!」
と言うわけで、彼らは帰っていった。
「夜、東京にいることになって、どうしても腹へったり、泊まるとこがなかったら電話して来いよ!」と言うと
「最終手段で電話します」って言ってたよ(笑)。
夜になっても連絡がなかったので、北海道に向かったのかなとふと思ったりしてた。
明くる日の夕方、電話が鳴った。あいつらだ。
「YASSさん!今、函館です!」だって(笑)。
「おう!無事かぁ!?」と俺も嬉しくなった。
「はい。10台くらいで辿り着きました。
函館で歌ってたら、お客さんが集まってくれて、CDがいっぱい売れましたー!
もう函館に住みたいくらいっス!」
若さって素晴らしい(笑)。色んな暖かい出逢いを経験すればいい。
全てが財産になる。
俺も散々無茶してきたけど、ヒッチハイクの旅はしたことないなぁ。
奴らが大阪に戻ったときは、人間的にもっと成長してるだろう。
歌に深みが増してるといいね。ガンバレ!
岡山ストリート。
2003年09月16日(火)
先週末は岡山に行って来た。また新しい仲間が増えたよ。
ストリートファイターズ@おかやまは、手作りで情熱のこもったホントにいいイベントだった。
"音楽とアートのコラボレーション"という一貫したテーマと何度も繰り返し行ったアーティスト同士のミーティングが生きた、
温かい家族的な空間だった。
イベントの前日は、岡山ストリートを見学。
生声と生音にこだわったアーティスト達が2〜3メートル間隔でパフォーマンスをしてる。
高島屋のビルもシャッター前の電灯を消さずに灯してくれているという
心遣いもあったりとまさにアコースティック天国。
伊勢佐木町を思わせるような場所だった。
ここで交流を温めてるアーティスト同士の絆は固い。
宇都宮徳馬や岸本ヒロキを中心にみんなの心はまとまっている。
イベントが終わった後、泣きながら俺に抱きついてきた岸本ヒロキ。
プレッシャーを乗り越えて、イベントをやり遂げた充実感が溢れだしていた。
打ち上げでみんなと話が出来て嬉しかった。
最終の新幹線の時間があったので、飲み明かす事は出来なかったけど…。
もっともっと色んな話をしていたかった。いい奴らだ。
「みんなで青春18切符を買って、YASSさんを訪ねて行こうって企画もあったんですよ!」って言ってた。
是非、不意をついて来て欲しい。楽しいよ(笑)。
「次も絶対やろう!」って約束をして別れた。
この次に行った時は、絶対ソースカツ丼を食べに行こう。
みんなが連れて行ってくれると言ってたのに、行きの新幹線に俺が乗り遅れたせいで、
行けなかったんだけどね(笑)。
KSBの田中さんにもホントに感謝です。
これからもアーティストの理解者であり、想いをカタチにしてくれる存在でいてやって下さい。
また岡山に行こう!
P.S 青春のヒッチハイカー、野村&志本は、またまたヒッチハイクで函館から岡山にやってきた。
飛び入りのコーナーのファイトクラブにも出演。
「YASSさん!帰りの車が見つかったんで、大阪に帰ります!」と言って、
同じく大阪から飛び入りに来ていたアーティスト「そよかぜ」の車に乗って帰って行きました(笑)。
この日、初めて知り合ったらしいけど。若いって、やっぱ素晴らしい!(笑)
パーティー。
2003年09月29日(月)
先日、小松監督の結婚パーティー業界編があった。
久しぶりに集まって楽しかった。
ユカイ君や吉川晃司、原田ケンタも生歌を披露。
ユカイ君の「バラとワイン」の弾き語りよかったな。
吉川君とは高校時代振りに飲んで話したかなぁ。
俺も歌った。役者仲間も勢揃い。
徳山君も相変わらず男前だし、少年隊のニッキのスピーチも面白かったよ。
暖かい時を過ごせた。
みんなの小松壮一郎への愛を感じて、親戚?の俺としては嬉しかった。
広がる愛
2003年09月30日(火)
「愛歌」が広まってきた。
「施設でみんなで歌ってます」っていうメールや
「NPOの大会で合唱したいので楽譜を下さい」など。
嬉しいよ。
来月は札幌で愛を歌ってきます。
自分のまだ知らない人達が笑顔でこの曲を歌ってる姿を
想像しただけで、幸せな気分になる。
2003年10月
一日一善。
2003年10月01日(水)
六本木のテレビ朝日ミュージックのビルを出たトコで「YASSさーん」と俺を呼ぶ女性の声。
振り向くとタクシーから降りてきたHYのIZUだった。
「おー!」ってな感じで話してたら、会話の内容と全く関係のないところで「あーっ!」とIZU。
何やら声に出して思い出したらしい(笑)。
それはナントIZUのスーツケースをトランクに積んだまま、タクシーが走り出していた。
次の瞬間、猛スピード(俺的にはね)で追いかけだした俺。
二つ先の信号でタクシーに追いついたのだ。
ターミネーターのように走って追いかけてきて、窓を叩く俺に運ちゃんもビビってました。
そして無事にスーツケースを取り戻したよ。
そのままナレーション録りにスタジオに向かった。
夜、ストリートファイターズ事務局に帰ってくるとIZUの置き手紙があった(笑)。
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YASSさんへ
いずのトランクの為にタクシーを一生懸命追いかけるYASSさんの後ろ姿、とても惹かれました。
三十代とは思えない走りでした。
世の中捨てたもんじゃないなぁーっとも思いました。
YASSさん、あなたは飛行機の中でタバコを吸って怒られたりしたけど、
いずにとってYASSさんは立派な社会人です!!
これからもいい歌とよいご活動を願ってやみません。
IZU
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まとめ書き。
2003年10月22日(水)
「茅ヶ崎」
久しぶりの茅ヶ崎ライブ。
東京から来てくれたみんなありがとう。
前と違って新しい店は駅から近く、音響システムも充実していてやりやすかった。
自分の曲を弾き語ってみて、改めて名曲揃いに驚いた。
(↑自分で言ってるし、しかも驚くな!笑)
定期的にやっていきたい。
あの街は大好きな街です。
「北の国から愛を歌う」
札幌に行って来た。
夜の狸小路はストリートアーティストでいっぱい。
歩きながら1組ずつ声を掛けた。
「愛を歌おう」を知ってて歌える奴らも結構いて感動。
アーケード街に生歌があちこちで響き渡っている。
それをつんざく爆音!
みんなが「誰だよ!」って怒り出してる。
爆音の震源地は、ギターリスト谷本光でした(笑)。
「俺もよく知ってるから」と言うと、
「YASSさんから音下げろって言って下さい!」と、あるユニットは興奮気味だったよ(笑)。
「札幌二日目。ストファイの収録イベント」
ぶんやともあき、サスケもゲストとして駆け付けてくれた。
飛び入りのコーナーのファイトクラブには20組近いアーティストがチャレンジしてくれた。
イベントの最後に「愛を歌おう」を大合唱。ひとつになれた。
降り出しそうな曇り空も、愛歌の時には赤く輝いていた。
この模様はストファイでOAされる。詳しくはまた…。
「大阪に行く」
先週末は大阪。
FM802主催イベントMINAMI WHEELにぶんやともあきが出演。
前の日は朝まで「笑っていこう」のPV編集してたので、ほとんど寝てない状態で会場入り。
40分間のステージだったが、ちゃんと心から心に歌と言葉が届いたライブだったと思う。
「笑っていこう」のPVは来週あたりからスペースシャワーなどで、流れ始めるので楽しみにして欲しい。
バーベQ大会
2003年10月29日(水)
先週の土曜日、新木場のキャンプ場で大バーベQ大会だった。
ケツメイシ、HY、ぶんやともあきなど沢山のアーティストが集まって昼間から肉を食って酒を飲んだ。
天気もよかったし楽しかったよ。
ビンゴ大会の一等賞はなんと「ハワイ旅行」!
リーチ待ちのまま何度もチャンスを逃していたのが、遂に俺もビンゴ!
「兄貴!兄貴!」のコールの中、「みんなハワイに行ってきまーす!」と
大きく振ったその手でクジを掴み、進行役のスタッフに渡した。
クジを開けてみたスタッフが目を丸くしながら、
「YASSさんパスポートはありますよねー?」
「えーっ!!」
周りは騒然としている。
ガッツポーズを決めてる俺に向かって、
「その心配はありません。ハズレです」
っておーい!(笑)。
かなりマジで行く気だったのに!
夕方まで飲んで食って満足な一日だった。
次の日は武道館へ。
HYがリンキンパークと対バンをする日。
気負うことなくHYらしい、いいライブだった。
昨日、飲んだくれてたあいつらが武道館のステージに立っている姿は不思議で、そして嬉しかった。
2003年11月
久々…
2003年11月16日(日)
マジでハードなスケジュール。最近はレコーディングでスタジオに入りつつだったので忙しかったー。
「ダウンタウン・ジェッターズ…」「BABY
ごめん、続き
2003年11月17日(月)
なんで途中まで?まあ、とにかく「BABY
3度目の書き込み。
2003年11月17日(月)
今、広島から福岡にむかっている。夕べ日記がうまく更新されなかった。
とにかく何曲かレコーディングしたって事がいいたかったんよ。これからじっくりとカタチにしたい。そんで発表したい。
知り合いのバンドのランブラーズも新曲をレコーディングしたらしい。かなりカッコイイらしい。(笑)
金曜はぶんやが新宿ロフトでスペースシャワー列伝に出演。いいライブをやってくれた。
中尾ユウスケもいっしょだったよ。そして打ち上げも参加後、12/8のジョンのイベントの打ち合わせ。
それからほとんど寝ずに朝7時の新幹線で岡山へ。車内で爆睡。岡山国体のPRイベントで「愛を歌おう」をやってほしいという話をもらい参加させてもらった。
スタッフの方々も主旨をちゃんと理解してくれてて嬉しかった。岡山のアーティスト達とも再会できたし。
昨日は実家で一泊。お袋とたくさん話をしたよ。なぜか、原爆が落ちた日の話まで久々に聞かせてくれた。
家が燃えて無くなった話。焼けただれた自分の姉がかわいそうで大泣きした話。
そしてそこから俺のアメリカ批判が爆発。最近いつもこうなんだけど…。声を荒げてとても辛辣になる。
するとお袋が「憎い相手に打ち勝つ方法が私は何十年もかかってわかった」っていう。
それは?って聞くと「その相手を愛すること。それに勝るものはないんよ」って。「だからあんたも“愛を歌おう”なんでしょう」って。
想いが強いほど真逆な感情が湧いてきたりして矛盾を抱えこむ。
なんだかシンプルで大切なことを教えられた気がしたよ。ふるさと滞在は一日。
これから福岡経由で沖縄にむかう。
沖縄にて。
2003年11月18日(火)
沖縄はあいにくの雨。
夕べからHYのギターリストのユウヘイとスタジオでプリプロ。
あらかじめ用意してた曲があったんだが、ゼロから勢いで作った方がおもしろいという事になった。
ふたりでギターをもってスタジオに入って
「こんなんどう?」
「おーカッコイイっすねー」
「そのフレーズいいじゃん!」
「ありですねー」
といった具合で曲ができていった。
とても楽しい時間を過ごせた。
曲が固まってきたとこでスタッフにベースで参加してもらったりしてね。
そもそもユーヘイといっしょにインストゥルメンタルの曲を作ろうと盛り上がった事から始まったセッション。
お互いのスケジュールがまったく合わずで2日間だけ俺が沖縄にいくという強行に出たんだ。
今夜も引き続きスタジオに入る。
いやぁ親子ほどの年の差と言っても過言ではな僕等。(笑)
でも違和感なく楽しいのは俺がある時期からピタリと魂年齢が止まってるから?!(笑)
曲が完成したらちゃんと録る予定。
鹿児島にて。
2003年11月23日(日)
鹿児島盛り上がった!福岡、佐賀、熊本、大分からもアーティストが集まってくれた。
最後に「愛・歌」大合唱だった。行ってよかった。明日は東京に帰る。
やっちった。
2003年11月28日(金)
鹿児島でうまいもん食い過ぎた。戻り日にはかなり無理してフェリーで桜島へ行った。
帰りの飛行機の時間がせまってたので島に着いてタッチして戻った。(笑)
溶岩をひとかけら持って帰ってきたよ。
その代わり機内に忘れ物した。(まただよ)俺の最新アイテムi-pot。
3000曲入るMP3プレーヤー。今まで旅先にウォークマンとCD何十枚も持って行ってたのを考えるとマジで便利な優れモノ
小さいしね。コンピューターってすごい。まあ忘れてきちゃ意味ないけどよ。(笑)
電話したら羽田にあった。よかったー。とりに行く暇なくて忘れ物預かり所に預けっぱ。
行って来るー。
今日いよいよ!
2003年11月30日(日)
今日いよいよだ。久々に長時間の弾き語りライブ。
おもいきり楽しもう。
歌いまくろう。
2003年12月
ありがとう&楽しかった
2003年12月03日(水)
天窓ライブ「YASSカフェ」はほんとに楽しかったよ。
来てくれたみんなほんとありがとう。3時間半にわたる弾き語り!
やりすぎだろっ。(笑)まあ、俺的には朝まで歌っててもよかったんだが
みんなが次の日キツイだろうと思って、あのくらいで勘弁してやったよ。(笑)
素敵な時間を過ごせた。最高のファンの前で思う存分に歌った。
歌を歌ってると俺自身いろんなコトがふっ切れてくのを感じる。
俺はやっぱり歌ってないと死んじゃう。あらためてそう想った。
愛の歌をうたうと愛しい気持ちになれた。楽しい歌をうたえばうれしくなって
せつない歌をうたうと泣きそうになった。
そんな自分のシンプルな感情がとても大事に思えた。
う〜ん、なんだかうまく言えないけど色んな意味で「信じて生きていこう」って感じかなぁ。
そんな気持ちになれた夜だったなぁ。
またやりたい。今回来れずでメールをくれたみんな、次回を楽しみにしててくれ!
ビー玉くらいの幸せ
2003年12月06日(土)
たくさんメールをありがとう。まだ返事送れてない。ごめん。
「ビー玉…」に関してみんな色々かいてくれたりしてたね。
うん近頃、あの曲を歌うと泣いちゃう。悲しいとかじゃなくてさ。辛かった事を思い出してとかでもないよ。(笑)
「俺って幸福だな」って想って泣いちゃう。ささやかな喜びとかやさしさとかを、ちゃんと感じてこれた自分はしあわせだなって。
そんで、歌ってて、それがきっとみんなにも伝わってると想うと泣けてくる。
こういう気持ちを感じた事のない子供達や、想いを分け合う環境にいない子供達が世界中にたくさんいるんだもんな。
あの曲はしあわせに満ちた曲だってあらためて想う。うまく言えないけど。
そして、もらったぶんだけ愛をかえしたくなる。
愛を分け合いたくなる。
ジョンレノンメモリアルライブ
2003年12月10日(水)
『P.S如雲玲音」は最高に盛り上がった。
俺の何気ない思いつきから始まったイベントだが、沢山の仲間が賛同してくれて、とてもいいロックイベントだった。
皆ホントにありがとう。それぞれがそれぞれの解釈で、日本語でジョンレノンの歌を歌う。
聴いてて面白かったし、刺激にもなった。
アーティストの演奏前にジョンの言葉や、オノヨーコさんの言葉をリーディングすると言う演出を今回は試みた。
全部で15回も呼んでくれた、わたなべくんと宍戸留美ちゃんに感謝したい。
夜中までかかって、ジョンの名言&迷言を抜粋し、台本作った甲斐があったよ。
ファンの皆にはごめんと言いたい。何と言っても1時間以上押してしまったからね。俺の出番は11時半を回ってました。
残ってくれてありがとう。でも「COLD TURKEY」はカッコ良かっただろ!
最後の「愛を歌おう」も良かった。初参加のアーティストも気持ち良く歌ってくれた。
俺が最も(?)影響を受けたジョンレノン。俺らの想いは届いただろうか。
毎年恒例でこの追悼イベントを続けて行きたい。
ありがとう&ゴメン
2003年12月18日(木)
14日のローランのライブに来てくれたみんな、ほんとにありがとう。
超満員の客席からは愛があふれてました。
いやーロックの神様に試されてるかのようにトラブル続きでした。
いきなり凄まじいチューニングのうえにアンプの音量もゼロになってるし。(笑)
ひとしのアコギも音が出なくなるわ、ベースも出なくなるわ等々…で、もうたいへん。
マジでどうなる事かって想ったよ。でもやっぱりローランのメンバーのプレイは俺に勇気をくれる。
むかしもそうだったなぁって想った。逃げて帰りたいような場所でもみんなの音に奮い立って魂で歌ってた。
そしてやっぱりファンのみんなに救われる。路上やってた頃もそうだったな。
この間のライブもあたたかく見守ってくれてる空気が伝わって来たよ。
まあ、とにかくやってよかった。すべてをひっくるめてR&Rの楽しさをおもいきり感じられた。
真犯人のローディー“しょうじ”も「田舎に帰ろうと想いました」って反省しきりだったし。(笑)
ただ音の面でパーフェクトなステージを観せられなかった事はみんなにゴメンっていいたい。
リベンジ・ライブに期待してくれ!
石垣島
2003年12月18日(木)
今日から石垣島に一週間滞在する。久々の石垣。いいよ、やっぱり。
今日はロケ取材で八重山高校に行った。ストファイ@石垣島に出演するバンドを訪ねた。
廊下を歩きながら生徒のみんなが「こんちわ」って挨拶してくれて清々しい。
ここの子供たちと話してるとみんな「学校を卒業して島を出ても絶対に最後は島に帰る」って言ってる。
「石垣で生まれ育った事を誇りに想う」って。
素敵だと想わない?ここまで故郷を誇る若い人たちに俺は会った事ないよ。
一人の女子高校生と話しててまたそういう話になった。
「大学は東京へ行くけど、その後は島に帰って島の人と結婚します」って。
そこで俺は質問した。
「大学で燃えるような恋をして、その人が北海道の人だったらどうする?北の国に嫁に来てって言われたら?」
彼女はまるで迷う事なく笑って答えてくれた。
「無理矢理にでも島に連れて帰って婿にします!」(笑)
いやぁ、まったくもって素晴らしい!
石垣島3日目
2003年12月21日(日)
だんだんと石垣時間になれていってる。時の流れるはやさって違うんだなって事をあらためて感じてる。
高校2年のギターリスト片山君は東京出身。小学校3年の時に石垣島に引っ越してきた。
彼のお兄さんがひどい喘息で環境のいい島に移住する事を家族は決心した。
その決断をした両親の深い愛情に感動する、尊敬する。
片山くんは島に馴染むのにまったく時間はかからなかったという。
東京にいた時の友達よりもっと強い絆の友達ができたって。兄弟みたいだって。
子供の順応力はたくましいよ。「石垣島に来てほんとによかったです」そう言う彼は
家族の愛にちゃんとこたえてあげた優しい子供なんだよな。
希薄な人間関係しか作れない現代社会。理解できない事件があまりに多いよ。
なんか色々考えさせられる。俺も人との絆を大切に生きていこう。
人はひとりじゃ生きていけない。人と人は空みたいにつながってるんだから。
そしてそれを“愛”とよぶんだと想う。
明日イベント本番
2003年12月23日(火)
いよいよ明日がイベント本番だ。HY、ぶんやともあき、やなわらばーも今日集結!
今年最後のストファイ・イベントだ。盛り上がるよ、きっと!
メリークリスマスでした。
2003年12月26日(金)
ストリートファイターズ@石垣島2は大成功!
石垣市民会館は超満員だった。前回と同じように、石垣市長の挨拶から始まり、いきなりの盛り上がりでした。
ゲストライブをしてくれたぶんやともあき、やなわらばー、そしてHYも、それぞれが個性的な輝きを放ち、とてもいいステージだった。特にミリオンセラーアーティストのHYは風格すら感じたよ。
イベントの最後は、ゲストアーティスト、参加してくれたアマチュアアーティスト、そして観客のみんなと、クリスマスソングの大合唱。
俺のギター一本によるジングルベル。それから聖しこの夜。聖しこの夜では会場に雪を降らせた。もちろん人工だけど。
今回は雪を見た事がない石垣島のみんなに、雪を見せてあげたい、クリスマスムードを感じてもらいたいという想いでステージ構成した。
ステージスタッフ、番組スタッフと共に何度もリハーサルを繰り返した甲斐があり、雪が降り始めた瞬間には会場からすごい歓声があがった。
嬉しかったなー。みんなでこの日のために頑張った事が報われた。
一週間居て、島の子供たちと過ごした分、出演者全員に感情移入してしまってね。
みんなにグランプリあげたい気分でした。
今年最後のストファイイベントが石垣島で大成功に終わった事を嬉しく想う。
石垣島には無くしてしまった大切なものがたくさんある。
人間が人間のエゴのために無くしてしまったもの。
空の青さ、本当の海の色、風の匂い。
うすっぺらじゃないほんとうの人と人との繋がり、家族の絆。
あの島に教えられた事はたくさんある。また、石垣に行きたい。