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2004年1月

あけましておめでとう

2004年01月02日(金)

あけましておめでとう。みんな今年もよろしく。
広島の実家で年を越した。久々にゆっくりしてる。
暮れの幕張のカウントダウン・ジャパン・フェスはいい感じで終えたよ。
HYのステージも凄くよかったし、はじめて出させてもらった「ぶんや」のライブも好評でよかったよかった。
久々に奥田民生とも再会できた。ちょっとご無沙汰してたからね。
それからポットショットも出演しててね。ベースのイチカワとも久しぶりに話しこんだよ。
帰りはイチカワに車で家まで送らせた。(笑)しかも助手席で大爆睡。気がついたら東京でした。(笑)スマンスマン。
とりあえず去年はアッという間の一年でした。ストファイ、フジロック、プロデュース業、そして「愛をうたおう」。
「広島ナイト」も楽しかったな。それから年末の3連発「YASSカフェ」「P.S.ジョンレノン」「ローランバースディ」。
2004年が始まったね。やりたい事はいっぱいある。
今年は“歌年”にしたいと想ってる。とにかく歌う。歌うことでメッセージを伝える。ウンチクの前にそれが原点。
みんなと会える時間を増やしたい。大切なYASSファミリー。たくさん会いたい。
たかが俺の、でも“最高の歌”で世の中が変わると信じたい。
そんな、おめでたさ爆発でいきたい。
というわけでつかの間の休息。少しのんびりさせて。(笑)
今年もがんばるぜ!

冬本番。

2004年01月13日(火)

今年初の「愛を歌おう」も寒い中、暖かい気持ちで出来た。
「愛・歌」は、過剰して広まっている。
コラボレーションの話などが、色んなところから来てる。
嬉しい。
歌が一人歩きしても僕等は原点を忘れず、歌っていればいい。
変わらず笑顔で歌っていればいい。
土日はライブに行った。
土曜日はフジロックで一緒に歌った"矢野真紀"ちゃんを観に渋谷AXへ。
シンプルで暖かいライブでした。
会場中が真紀ちゃんの言葉に耳を傾けている。
声って物理的に言うと空気を振動させて鼓膜に響くんだよね。
まさに僕等を包む空気を揺らせて、心に響かせてくれた。
いいライブでした。
日曜日はレイニーウッドを観にFABへ。
キーボードの上綱さんは大先輩。
柳ジョージ&レイニーウッドは、ガキの頃、凄い聴いてた。
横浜を舞台にしたドラマティックな歌詞と、
ブルースに根ざした多彩なアメリカンロックサウンドに影響を受けた。
何年か前のイベントにゲストで呼んでもらって、「青い瞳のステラ」を
レイニーウッドをバックに歌わせてもらった幸せな思い出もある。
この日、大好きな曲がいっぱい聴けたし、新曲もよかった。
これからCDも作って、ライブも定期的にやっていくしという。
嬉しいな。今のどのバンドにも出せない音だから。
ドゥービーやオールマンみたいな存在だし、そうあって欲しい。

もしくは男の氾濫

2004年01月20日(火)

「AかBにしようと思ってたけど、Cがいいと思うんだよね。どうだろ?」
例えばこんなふうに訪ねたとする。すると、かなり強い意志を感じさせる口調で
「そりゃCだよ!絶対Cだと思うな!」とまずはスパッと切れ味いい鉈の如く答えてくれる。
そしてその後「もしくは、意表を突いた感じでBがいいよ!もしくは最初の感性を信じてAだと思うなぁ」って全部じゃん。(笑)
よくよく聞いてみると選択肢を解説付きでオサライしてるだけじゃん。
それは意見ではないよなぁ。

繋がる愛

2004年01月22日(木)

NGOワールドピースナウのピースウォークで「愛を歌おう」を歌いたいとの話が来た。
先日、ASIAN SPARK代表の地球マンこと、松田さんと会って話した。とても真剣に前向きにピースアクションについて考えていて、共感出来た。
平和に対しての意識を高めるにはどうしたらいいか、素敵で愛のある世界にするにはどうするべきか。有意義な話が出来たよ。
それからその日一緒に会った、「輪」の松谷さん。静岡の施設で「愛歌」を歌ってくれてる事は前から聞いていたけど、この日、初めて会う事が出来た。
近いうちに、俺も施設にお邪魔して、一緒に歌いたい。「愛歌」は、幸せを願うヒトみんなの歌。自由に歌ってほしい。

まだまだ愛が繋がって行く。てんつくマン(?保さん)の映画上映会で「愛歌」を配りたいって言ってくれた。
てんつくマンがチャリンコで日本中を回って路上で詩を書いて、集めたお金で作った魂の映画。イラクの子供たちに手編みのマフラーを届けに行ったりするドキュメント映画。(俺はまだ観れてないけど)
CDを渡す為に映画スタッフの小関さんとカフェで待ち合わせた。俺が遅れて店に行くと、小関さんは俺を待ってる間、カウンターで編み物してた。ホットウーロン飲みながら。大の男が。(笑)
きっとイラクの子供たちの為のものかな。素敵だよ。愛だよ。
上映会当日は200人近くの人が集まり、CDが足りなかったみたいだけど。
3月の広島の上映会は、俺も駆けつけるつもり。愛は確実に広まってる。
愛は響いてるよ。

冬風

2004年01月25日(日)

昨日の愛歌は愛歌史上もっとも寒い夜でした。
にもかかわらず駆け付けてくれたみんな、ほんとありがとう。
俺的には前の日に長野で突き刺すような冬風を浴びて
免疫できてたので少しはよかった…けど寒かった。
来月にストファイ@長野をやる。その前に地元のみんなが俺に相談したいっていう事でね。
みんな純粋ないい子達でね。とりあえず気合いを入れてきたよ!(笑)
その模様はストファイで。

テレビから流れてきた

2004年01月28日(水)

寒いぜ。最近お気に入りの、黒のフライトジャケットが大活躍してます。でも寒いのにやっはビール飲んじゃう!(笑)
そう、この間の愛歌にはノリヤスさん(てんつくマン)も来てくれたんだよね。嬉しかったよ。
そういえばウラBBSにも書き込んでくれてたけどニュース番組で愛歌流れてたよね。
俺も偶然テレビをつけたら平和デモ(ワールドピースナウ)の報道をやってて、ピースウォークしながら「ラララ〜愛を歌おう」って歌ってた。
その後の日比谷での集会でもみんなが愛歌を歌ってるシーンがながれた。
俺がまだ会えないでいるたくさんの人達が、それぞれの想いや祈りをこめてうたってくれてるんだね。
アジアンスパークのみんなにも御礼をいいたい。ありがとう。

真夜中の酒

2004年01月31日(土)

ビーバップクルーのSEIJIさんと少年隊のニッキがSOULBARをオープンした。
オープニングレセプションの招待状をもらってたけどスケジュールが合わずで行けなかったんだよね。
最近、何度か飲みに行った。凄くセンスよくて素敵なお店だ。
先日、友達で俳優の相島さんから「今、SEIJIさんとニッキの店にいるよーん!来て」
とかなりご機嫌な電話が真夜中にあった。(笑)タクシーを拾って行く俺も俺だ。(笑)
着いたら案の定できあがった感じで盛り上がってた。でも相島さんはやっぱ最高だ。周りの人間をあったかい気持ちにしてくれる。そういう愛のオーラがある。
またいっしょにモノを作りたいなって思った。でも相島さん大河ドラマ「新選組」で忙しそうだからなぁー。
「YASSの“路上にて”は最高だよ!」を連発してくれていたのだが、10回目くらいで「それって“路上の詩”でしょ」って一応指摘しといた。(笑)
最後は俺の家で爆睡。朝起きたらテーブルの上に相島さんの置き手紙があった。



2004年2月

祈る。

2004年02月05日(木)

ハッピードラッグストアの清水和彦君が亡くなった。
ジョンレノン追悼ライブで1度時間を共有しただけだが、とてもショックだし辛いです。
彼を応援してきたファンの人達のことを思うと、やるせない気持ちになる。
彼との思い出は、共にジョンレノンに思いをはせ、共に愛を歌った1日だけだが、
大事にしまっておこうと思う。
繋がりが深いほど死を受け入れるのは難しい。
俺も数年前に不慮の事故で友達を失った。
知らせを聞いて駆け付けた時の事、冷たくなった身体に触れた感触を昨日の事のように覚えてる。
そいつの亡骸を囲んで朝まで泣きながら飲んだ日の事を。
一緒にやったライブやキャンプのビデオは、やっぱり辛くて見れないでいる。
人生って出逢いと同じ数だけ別れがまってる。
死って?死んだらどうなる?
意識のない世界へ消えるだけなのか、新しい世界でまたみんなと再会できるのか…
俺にはわからん。わかんないな。
ただ同じ時代に同じ国で一緒に時間を過ごせたって言う、もの凄い奇跡に感謝しよう。
そして僕等は今を生きよう。一生懸命生きよう。
清水君のご冥福を心よりお祈りします。

長野

2004年02月13日(金)

長野に着いた。スーパーあずさの窓から雪の残った景色を見ながら松本駅に到着。
なので今夜の愛歌は参加できない。でもみんなが歌ってると思うので時間がある人は是非。
昨日はスタジオにこもってた。“ぶんやともあき”のプリプロ(仮レコーディング)で帰ってきたのは今朝。
でも凄くいい曲が仕上がってる。うん、いいよ。
さあ明日は@長野。朝早いんだよなぁー。

広島へ

2004年02月18日(水)

長野のイベントはなんとか無事終わった。ハプニング続出だったけどね。
今回はじめて大学のイベントサークルと共同開催。学生のみんなは試行錯誤、テンパリ、パニクりながらも(笑)一生懸命やってくれたよ。
会場も松本のあがたの森にある会館。旧松本高校の講堂かなんかでね、なんと重要文化財。
すごく雰囲気あるトコだったよ。わかりやすく説明すると真珠婦人が舞踏会を主催しそうな感じ。(あくまでイメージ。真珠婦人ちゃんと観た事ないし)
今回は司会もサークルのメンバーに任せた。するといきなりやられた。オープニングで俺をステージに呼び込んでそしていつものように開催の挨拶のはずが…
彼等は極度に緊張していたらしく見事にすっ飛ばしやがった!(笑)
ストファイのイベント史上初、俺の出番なくスタートしてしまいました。(笑)一組の演奏中にステージ裏に飛んできて「YASSさんごめんなさい!」ともう涙目。
「大丈夫大丈夫。最後の挨拶はさせてくれよ!」と逆に励ましたよ。(笑)
心配してたお客さんの数も始まる前から長蛇の列ができてて、会場はいっばいだった。
内容的にはお客さんも参加アーティストもみんな協力的で、手づくり感のあるあたたかいイベントだったと思う。
最後の締めの挨拶はちゃんと呼んでくれたし。(笑)終わった後にサークルの代表の石田君に「お疲れ」と声をかけ握手をした瞬間にいきなりは号泣してた。感動や安堵感、そして悔しさが入り交じってあふれたんだろうね。
彼は医学部で今年卒業。とにかくこの“やり遂げた感”を忘れずにいい医者になってほしい。
人の想いがわかる医者に。
そして昨日は友達と飲み。楽しかった。
KKTの青木さん、元バニラのべーシスト坂巻くん、向山テツさんの弟子でドラマー阿部川くん、元アイドル、現女優の笹峰愛。
飲みの席でまたバンドが結成された。(笑)俺はギターリストとして参加する。バンド名は『ブルーウッド』。もちろんその場にいた青木さんの名前から付けられたという安易さ。(笑)
何カ月後、ほんとにこのメンツでライブやってたら凄い。
そして俺は明日から広島です。

広島にて〜妖しい飴玉〜

2004年02月21日(土)

広島でのぶん・とも初ライブも無事おわり、明日は岡山だ。
広島では連日飲み会。ぶんやの二人と酒飲むとほんと楽しい。ていうかおもろい。
またあいつらメチャ強いし。ざるだよざる。(笑)俺はほんと弱くなったなぁ。
俺もぶんやくらいの頃は(言い回しがおっさん?)『レノン』という友達の店のジンとウォッカを一晩ですべて飲み尽くした伝説をもってたんだがな。
路上やってた頃もすげぇ飲んでたし。今はね、すぐ眠くなる。
案の定、広島の初日も座敷で壁に寄り掛かって爆睡してたらしい。
ところがだ。その日は急に目がぱっちり覚めてまた俺は酒を飲み始めたんだよ!これが。
向かいに座ってた後輩があるキャンディーを俺の口に含ませてね、それをなめた直後に起き上がったらしい。
「この飴は酔い醒ましにいいんですよ」というキャンディーその名も『無敵』って妖しい!(笑)
「こっちは体臭を消すやつ」出して来た袋には『勝負』って書いてあった。(笑)
よくわからんがその飴玉効果があったらしく朝まで行けたのだった。

広島にてー再会ー

2004年02月25日(水)

岡山から、また広島に戻りバンドコンテストのテープ審査に参加した。
昨年も審査員を務めた、サンモールバンドコンテスト。
去年は行って初めて自分が審査委員長だと聞かされてびっくりしたもんだった。
今回テープ審査で160曲も聴きました。
そう5時間くらい・・・。
一生懸命応募しているみんなには申し訳ないけど、
死ぬわっ!
広島でまた素敵な再会があった。
高校時代の同級生がワインバーをやってると聞き
飲みに行った。
レンガ色の外壁に、カウンターだけの長細い空間。
その両端に、二つ出入り出来る扉のある、とてもシャレた店だった。
中に入るとカウンターの中にソムリエ風の男がひとり。
ベストにネクタイ、黒いエプロン。
他の客にワインを注ぎながら俺の方を見ているのは
まさに同級生の中村。
「やっと来たか」と彼は行言った。20年ぶりの再会。がっちり握手をした。
人懐っこい笑い方は全く変わってない。
彼がセレクトしてくれるワインを飲みながら、懐かしい話を色々した。
「見せたいものがある」そう言って
彼がカバンから出して来たのは新聞の切り抜き。
俺が赤坂ブリッツを目指してストリートを始めた頃
広島でも路上ライブをやったりしてた。
その時に地元の新聞紙の取材を受けた事がある。
『歌の力を信じて路上で歌うYASS』みたいな見出しだった。
『「歌えば必ず分かってもらえる」と語るYASS』と写真も載ってた。笑
「これを時々見ては励みにしてた」と彼は言ってくれた。
本当に嬉しかった。ホントに。
もう中学生の子供が居ると聞いてびっくり。
時は流れてるんだな。
バレー部のキャプテンで昔からマジメな男だった。
友達の必死の頑張りを素直に励みに出来る彼は素晴らしい。
ねたみそねみは負のパワーだもんね。
俺もそんな生き方をしたい。
友人の情熱や成功を心から受け入れられる人間でいたい。
友人の挫折や悲しみを心で受け止めてやれる人間でいたい。
そう想った。
また飲みに行く。
その時はゆっくり、ワインについてのうんちくを聞きたい。



2004年3月

ストファイ・レコーディング

2004年03月02日(火)

ストリートファイターズの新オープニングテーマ曲のレコーディングをやった。
かなりかっこいいよ。
HYのユウヘイと沖縄で一緒にギターのリフを作って、それをふくらませた。
LORANとランブラーズの混合バンドで録ったので、
2つを足して割ったようなサウンドになった(まんまだ)。
これにユウヘイがギターダビングをして、コーラスを重ねれば完成。
番組で流れるのは4月後半かな!?楽しみだ。

心のロックンロールの火。

2004年03月18日(木)

もう春だ。久しぶりの日記だ。 色んな事が同時進行しているので、毎日があっという間。
今週の月曜日は打ち合わせで急遽広島へ。
そして次の日の朝には東京戻りだった。
また20日から広島へ行くんだけどね。
火曜日の朝、新幹線に間に合うように実家を出たんだが、
広島駅に向かう電車の中でケータイを忘れたことに気が付いた。
仕方なく途中下車。また引き返す為に反対側のホームへ。
公衆電話からお袋に電話した。
「ケータイ忘れたよ。今から取りに戻るね。うん、次ののぞみに乗るよ」
みたいな会話で電話を切り、電車を待った。
そこで東京に帰ってからのスケジュールが気になり出した。
「16時に青山で打ち合わせだったよなぁ…
東京駅から青山一丁目の一番早い乗り換えをケータイで調べておこう!
えっと…ケータイ…ケータイ。えっ!あれ!?ケータイがないよ!!」
その時の俺の心の動きやつぶやきを文字にしてしまうとほんとアホっぽい。
なぜ引き返せねばならなかったのか。
なぜ乗り換えを調べなければならなかったのか。
思い出すのに少し時間がかかった。かなりヤバイ。
おばあさんが頭にめがねをのせたまま、探し回るようなもの。
ふとサザエさんの中での一話を思い出した。
曇り空を見上げた波平が傘をもって出かけようとする。
「お父さん、雨が降らなかったらいつも会社に傘忘れてくるでしょ!
何本も置いてきてますわよ」
そう言って妻のふねが苦言をていする。
波平は手のひらに「傘」とマジックで書き、
「これで忘れないだろ母さん!」と玄関にその傘を忘れて出かけてしまう脳天気な波平。
まさに波平らしいエピソードだ。
一般のおばあちゃんや波平もビックリの大ボケをかましてしまった俺は大丈夫なのか!?
一生歌い続けると公言するYASS。
歳をとってからライブで同じ曲を何回も歌ってしまうようになっても
ステージ上でうんこをしてしまう最悪のケースになったとしても
心のロックンロールの火は変わらず燃え続けてる。
みんなには暖かく見守ってもらいたい。

そしてまた広島へ

2004年03月20日(土)

今日から広島へ。朝早いのでこのまま完全徹夜でいこう。
昨夜はギターリストの柳沢230二三男さんと久々に会って飲んだ。
俺にとっては何があっても足を向けて寝てはならない人だ。
俺の東京の兄ちゃんであり、恩人であり、尊敬する音楽の先輩でもある。
一年以上ぶりにあったがまったくそんな気はしない。毎日会ってても、一年に一度しか会わなくても、心が通じ合ってれば関係ないんだな。
こんな俺のために本気で怒ったり、泣いたりしてくれた人。とても大事な人。
少しだけでも成長した(?)俺とまた音を作ってほしいと思った。
柳沢さんと話してると歌を歌う事の素晴らしさは人と出会える事だなって感じる。いい夜だったよ。
さあ、広島でてんつくマンが待ってる。愛を歌いに行ってきます!

広島は寒いよ。

2004年03月24日(水)

てんつくマンの映画上映会は無事終わった。何よりこのイベントに情熱を燃やしたイベントスタッフ〜チーム輪〜に拍手を贈りたい。
折り鶴もほんとにたくさん集まったしね。がんばった。映画を観たり、ノリヤスさんと久々に話ができた事で自分の原点を見つめなおせた気がする。
無謀男。やりたいと思ったらとにかくやる。ダメでもしつこくやる。
何となくのあきらめムードが蔓延する世の中でアホみたいに信じてやる。
イベントに呼んでくれてありがとう。参加してよかった。[愛歌]もよかった。
岡山から来てくれてた親子が「私も娘も大好きで70分のMDいっぱいに入れてずっと聴いてます」って言ってくれた。
子供たちも「担任の先生にも聴かせてクラス全員で歌ってます」って言ってくれた。ここから始めよう。
破滅的な世界情勢。パレスチナ自治区へのイスラエル軍のミサイル攻撃のニュース。絶望感で目眩がした。最悪だ。
「戦争はいらない、神様も歌おう」イエスが生まれた聖地エルサレムで、ひとつの愛の歌をみんなが笑顔で歌ってる姿をイメージするのは非現実の夢物語なんだろうかぁ。
とにかく僕等は大切な人を想って歌おうよ。



2004年4月

2004年04月03日(土)

今、ぶんとものレコーディングにスタジオにこもっている。
傑作が出来ると想う。
近いうちにYASS情報が一気に流せると想うので、今しばらく待っててほしい。
かなり集中してます。
今日、半年前にした血液検査の結果を聞きにいった。酒の飲み過ぎで周りから散々勧められて病院に行ったのが、去年の6月。忙しいやら、ちょっと聞きたくないのやらで行かずにいた。あくまで半年以上前のデータですが、皆さん、肝臓も腎臓も問題なしでしたよー。

またまた広島

2004年04月11日(日)

明日はサンモールバンドコンテストの本選。俺も審査委員長としてがんばります。
広島はいいバンドがいっぱいいるからね。
愛歌来てくれたみんなありがとう。想いは届く。奇跡はおきる。
政治的、宗教上、どんな理由があっても人が人の人生を奪ってはいけない。
ただそれだけです。
ゴールデンウィークは広島から愛を歌うと思う。詳細はマジで近日中に。
明日は朝はやい。起きれるかのう…。
それからメールの返事書けてない。みんなスマン!

明日から神戸

2004年04月17日(土)

明日から神戸に行ってきます。なんだかマジで旅人だな。
人質が解放されてほんとよかった。新たな悲しみ、そして憎しみが生まれずにすんだ。

神戸の二日間

2004年04月21日(水)

神戸から帰って来た。ぶんやのチキンジョージでのライブは、とても楽しく、あったかいステージだったよ。
まずライブの前日に神戸入りして、スタジオでリハーサルをした。夜に飯を食った後、久々の息抜きにと、ボーリングへ行った。
三宮駅前のボーリング場は、土曜日ということもあって、ヤング&ウーマンでいっぱいだった。受付で「40分待ちになります」と言われたので予約だけしてダーツゲームで時間をつぶした。ぶんやの二人とサポートメンバーも含め6人で始めたそのゲームは、終わりなき戦いとなる。
ゼロにすると勝つルール。それがなかなかうまくいかない。
メンバーに達人がいるわけでもなく、延々と続くダーツ合戦。
ボーリングの待ち時間の40分を超えた頃には、「誰か早く決めてくれ」と全員が思っていた。
そして俺の番が回って来た。3本の手持ちの矢があと1本になった時、数字はわずか3だった。それでゲームは終わる。俺がこの戦いに終止符を打つ! 片目を閉じて狙いをすませながら「3はどこだっけ?!」と皆にアドバイスを求めたその時、
人の好いベースのヤンGが、人懐っこい顔で「3はね、ここ。」と指で的を突きながら教えてくれた。
「ピッピッピー」その瞬間、ボードの数字はゼロになり、戦いは終わったのだ。
あまりのあっけない幕切れに全員呆然としていた。
ヤンG本人も「えっ?なんで?」と立ち尽くしている。この光景は今想いだしても笑える。
まあ、いずれにせよボーリングの時間が迫っていたのでよかったよかった。
ドロ沼化していた戦いを終わらせたヤンGはこの後、当分“ゴッドフィンガー”と呼ばれるようになるのだ。
さあ、ボーリングだ。まっすんとヤンGは(ゴッドフィンガー)はとても投球フォームがきれいで、「よっ!ボウラー!」と言った感じだ。ぶんくんは力づくだが、球に勢いがある。俺のフォームは、自分では分からんが他人にして“酔拳”と言わしめるほど個性的らしい。
しかし、ボーリングはカタではなく魂なのだ。出遅れて苦戦しながらも、要所でストライクを出した俺はみんなに追いついた。
そして2ゲームトータルで300を超え、見事優勝したぜ。
「さすがYASSさん。見かけに騙されたぁ〜」とぶんやの二人にも言われ、プロデューサーとしてのメンツも保たれた。「いやいや、ここで調子に乗って、忘れ物をして帰ったりするからな」と身を引き締め、忘れ物チェック。
「携帯持ったし、財布とサングラス持ったし・・・よし。」と、自分の靴を忘れてボーリングシューズのまま帰ったのは言うまでもない。(途中で気付いて取りに帰った。みんなに爆笑された)
2日目は明日。



2004年5月

ここ数日のYASS

2004年05月01日(土)

神戸での二日目を日記に書く間もなく、先週末は大阪へ。
桃色パラダイスの解散ライブに駆けつけた。ストファイの関西エリアを引っ張ってくれた彼らだから、残念だ。
本人たちは吹っ切れていて、思ったより元気で安心した。ゲストで愛歌もやったよ。
これからのそれぞれの音楽活動も応援して行きたい。
次の日、朝早くに東京に戻った。ぶんやの曲に、バイオリン&チェロを入れるためにスタジオへ。
バイオリンを弾いてくれたのは武藤さん。
YASSの“かくれ名曲”KAMIKAZEで、名プレイを披露してくれた人だ。
久々の再会。変わらないプレイ。最高だった。
おかげで、曲により深みが増しました。お二人とも、ありがとう。
火曜日はサザンシアターに「こまつ座」の芝居を観に行った。「太鼓たたいて笛ふいて」。井上ひさしの作品で、大竹しのぶが主演だった。
「放浪記」の林芙美子の、戦争に巻き込まれ、踊らされて行く様から晩年までが描かれていた。
過度な演出もなく、重くもなりすぎず、ユーモアがいっぱい。
それでいて、反戦のメッセージはしっかり胸に届いてくる。
素晴らしい舞台だった。大竹しのぶさんにはやはりオーラがあった。
生ピアノだけによる音楽評伝劇。感激した。林芙美子の母親役、梅沢雅代さんが何より素晴らしかった。
その日の夜、サルーキーと打ち合わせ。あくる日に行われる、サルーキーの武蔵野公会堂ワンマンライブについてだ。
ストリートの手売りだけで目指して来た彼ら。「明日は悔いのないよう楽しめ!俺も楽しみにしてる」とゲキを飛ばした。
そして次の朝、俺は声も出せない程の腹痛に襲われたのだ。さすがの俺も速攻病院へ。
急性の腸炎らしい。痛み止めの点滴を三本。自宅待機で様子見。
薬が効いたらしく、痛みは和らいだ。
吉祥寺音楽祭のMC打ち合わせも飛ばしてしまい、スタッフに迷惑かけたな。
何より、サルーキーを観てやれなかったのがなあ。すまん!
いやー、でもさすが平成のタフガイYASSは完全復活を遂げた。
今日、これから吉祥寺音楽祭で復帰する。
フラワーフェスや、YASSカフェも控えている。元気な顔で、みんなに逢えそうだ。

大大成功!

2004年05月06日(木)

感動的な三日間だった。フラワーフェス大成功だよマジで!詳しい内容はまた。YASSノートには日記を毎日書き殴ってたので、ここにまとめて載せます!YASSカフェも楽しかったー。また調子に乗っていっぱい歌いまくってしまった!ファンのみんなありがとう。

黄金の三日間

2004年05月14日(金)

5月3日。広島フラワーフェスティバル初日。今にも泣き出しそうな空。
平和大通りが全て歩行者天国になり、オープニングパレードが始まる。
広島に生まれて数十年、遂に憧れの花車に乗った。子供の頃、よくこのパレードを観に行った。
カープの選手や芸能人が、車の中から手を振ってくれたのを想いだす。
いやーいい経験した。一生に一度、乗れるか乗れないかのあの“花車”。
同じ車に、フラワークイーン3人(ミス・フラワーみたいな感じ)、高校生演歌歌手の神園さやかちゃん(レコード大賞新人賞)と一緒だった。
手を振り続けるのってホントきつい。なので、必殺「皇室振り」をした。(手首だけ前後に動かす。
午後からの最初の愛歌は、シャレオ。
地下街のステージなので、本降りになって来た雨も関係なかった。
沢山の人が集まってくれた。歌ってくれた。確かな手応えを感じた。
配布のCDも一気に無くなった。
広島の人たちは、こういうメッセージを待ってたのかもしれない。そんな気がした。
夕方のラベンダーステージはどしゃ降り。それでも歌いに来てくれた人達に感謝。
心を込めて歌ったよ。
初日の愛歌は、雨にも関わらずさわやかで、あたたかい空気の中で無事終わった。
夜はついにYASSカフェ!!
リハーサルをする時間をあまりとれなかったが、YASSカフェらしく自然体にくつろげる、いい雰囲気でした。
また調子に乗って、歌いすぎた!まあ、久しぶりの広島なのでたっぷりね!
「最後に愛歌をやろう」と自分で言っておいて、忘れてた。みんなゴメン!
白熱のストリートシンガーブルースで弦を切ってしまったし。
次は夏くらいにまた、広島でライブをやろうと想う。
ふるさとで歌う“メイプルタウン”や“ビー玉”は、やはり感慨深いものがあった。

つづく。

黄金の三日間、その2。

2004年05月19日(水)

5月4日、朝、目が覚めると知人から電話が入った。
「今朝の中国新聞の朝刊見たか?」早速新聞を買ってみると、社会面の4分の1を割いて、デカデカと愛歌の記事が!前日のシャレオの写真がカラーで載ってた。
後々、この記事は反響を呼ぶ事になる。
今日は、まずサクラステージでのバンドコンテストの審査員。いいバンドばっかだったよ。
最後の結果発表の前に一人で「愛歌」を歌った。それからシャレオへ。
そこでの「愛歌」が終わった後に沢山の人にサインを求められた。「新聞見て来たよ。」って言ってくれた人も結構居て、マジで嬉しかった。
この日、ラストのカーネーションステージは、凄くでかい。
そして、平和公園の中にあるステージと言う事で、気持ちも引き締まった。雨も上がってくれた。
今までで一番の動員だった。沢山の人たちが愛歌のチラシを手に、ステージを待っていてくれた。
いつものように何度か練習しての大合唱。
陽の暮れかけた雨上がりの空に、愛の歌声が溶けて行った。
平和公園から世界中に、愛を込めて。感動した。


5月5日。最終日。ついに快晴だ。この日のオリーブステージは最高の雰囲気だった。
みんな「愛を歌おう」に参加する為に来てくれてる。そんな感じだった。
みんなで一緒に歌うって素晴らしい!すべての壁を越えられる。改めてそう想ったよ。
CDもあっという間に無くなった。
最後はホップステージ。ここでラジオの公開生放送。
“YASSとミツコのロッキージェットショー!”
俺の音楽人生をじっくり振り返ったりと、楽しい番組だったよ。
相方のミツコには助けられた。サンキュです。
後半にYASSライブがあり、Gのナンバーと路上の歌を歌った。
そして最後にやはり「愛歌」。東京から一緒に帰省した、オイスターズのオサムを始め、広島のミュージシャンやスタッフ、初日からずっと一緒に歌って来たメンバーと、フラワーで最後の愛歌を締めくくった。ホントに良かったよ。
充実した黄金の三日間。歌い続けた三日間。幸せだったな。
フラワーのスタッフには心からありがとうを言いたい。そして新しく出逢った仲間達にも。
「愛歌」で人と人が繋がって行く。ソウルメイトが増えて行く。
歌ってる4分半の穏やかな気持ち。それは、愛が溢れる明日への願いに変わる。
歌ってる4分半の心の平和。それは、争いのない未来への祈りに変わる。
広島での「愛歌」。やって良かった。
そして、ここからまた、始まるんだね。



2004年6月

YASSカフェを終えて

2004年07月13日(火)

YASSカフェは楽しかったな。いつまでも歌っていたい俺でした。
いっぱい歌えていっぱい話せて、幸福な時間だったなぁ。いやー、生きてるって、音楽って素晴らしい!
近々にまたやるよ。色々と考え中なんで楽しみに待っててほしい。
来てくれたみんな、ほんとにありがとう!来れなかった人、次回に期待を!!
またやろうぜ。マイ・ファミリー。

梅雨だな

2004年06月10日(木)

今日から毎日書く!と言いつつ、お約束で久々になってしまった。
でも今日から毎日書く!(←やっぱり言う)

最近は、時間を見つけて出掛けては、色々いい刺激を受けてる。こないだは「オイディプス王」を観に行った。
素晴らしかった。ギリシャ悲劇の割には、思ってたより分かりやすくシンプルで、ホント感動した。
生の舞台での野村萬斎に感激。
2列目だったし。汗が飛んでくるくらいの勢いだったよ。誰か観に行った人いるか?
それから先週は横浜アリーナのケツメイシのライブも良かったね。ホント楽しめた。
笑わせて、泣かせて、笑わせて。ツボを知ってるステージングは流石。これまた感動。

俺の心の中で、すべてが“やる気エネルギー”の源になってく気がする。
俺もやるぜ。
あー雨が気になる。ギターピクニック楽しみだ。。

晴れろ!

2004年06月13日(日)

ギターピクニック。梅雨時に始める俺も俺だが・・・・。
地方でもやりたいと思ってる。
全国公園巡りは楽しいだろうね。
それにしても、レイチャールズの死はショックだった。あの人は、B.Bキングと共に、
100歳くらいまで現役でやってくれるだろうと思ってたから。
ロックアーティストに与えた影響は計り知れない。
心からご冥福をお祈りします。
6月10日、忘れられない悲しい日になった。

新幹線の中

2004年06月21日(月)

今、神戸に向かう新幹線の中。台風直撃で止まってます。
走らない列車の中ほど退屈な場所はないね。しかも今日に限って本持ってくるの忘れたし。
まあとにかく無事たどり着けばいいが。
晴男のつもりがー。
先日のギターピクニックはのんびりできて楽しかった。ただ俺が勝手にイメージしてたよりも代々木公園は鬼のように広く、
来てくれたみんなは探すのがたいへんだったみたい…。スマン。
しかもダラダラのボケボケだったし。まあ大都会の中の公園なんてものはダラダラのためのボケボケの場所という事で許して頂きたい。
懲りずにまたやるつもりです。
それにしてもいつ走り出すのだろうか。
がんばる。

台風にふぅー。

2004年06月23日(水)

結局、神戸には辿り着けなかった。
4時間半も新幹線の中に缶詰にされたあげく、
浜松でUターンして東京に戻ってきた。
ぶんやともあきのライブ出演は中止。待っててくれたお客さんにはほんと申し訳ない事になったな。
ごめんなさい。本人たちもかわいそうだったよ。
こんな文明社会の現代でも自然の猛威の前ではやはり成す術なし。
風が強いせいでライブ会場に近づけもしないなんてねー。
俺の音楽人生ではじめての出演キャンセルという事となった。(俺が出るわけじゃなかったが)
あっ!スマン!嘘つきました。一度だけありました。
高校3年の時の文化祭。学食の二階のステージで歌うはずだったのにすっぽかした事が…。
もう、かなり充分に時効だと思うので書きますが、バスケ部の部室で宴会しててですね。
気がつけば時間が過ぎ去ってた。うーん最低。“下けん”と“りゅう”というとても悪い友達に酒飲まされて。
まさに若気のイタリ。
それ以来一度ないよ。(当たり前なんですけど)
というわけでYASSカフェ2の日に台風や地震が来ない事を祈る。
お酒はみんなが集まってから飲み始めます。



2004年7月

YASSカフェを終えて

2004年07月13日(火)

YASSカフェは楽しかったな。いつまでも歌っていたい俺でした。
いっぱい歌えていっぱい話せて、幸福な時間だったなぁ。いやー、生きてるって、音楽って素晴らしい!
近々にまたやるよ。色々と考え中なんで楽しみに待っててほしい。
来てくれたみんな、ほんとにありがとう!来れなかった人、次回に期待を!!
またやろうぜ。マイ・ファミリー。

祈り

2004年07月14日(水)

YASSカフェではじめて歌った曲のタイトルは“祈り”です。
「アカペラで歌いはじめた曲はなんて歌ですか?」というメールとかをもらったりしたので。
祈りって強い言葉だなとあらためておもう。とても強く思い願うこと。心から、魂から望むこと。
たくさんの悲しみの数と同じだけきっと祈りがあるんだね。
今、世界中に広がってる祈りを僕等は、心のどこかで感じながら毎日を生きていかなきゃね。
自分の人生を一生懸命生きてかなくちゃ。
いつか願いは叶う。祈りは届く。そう信じながらね。

ああ、プロ野球

2004年07月27日(火)

ごめん、ひさびさです。
夏真っ盛り。先日、神宮球場に野球を観に行った。やはり野球ってワクワクする。カープ対スワローズ戦。
遅れて行ったので前田のホームランこそ見逃したが、素晴らしい試合運びでカープが快勝。
球場で食べる肉うどんもビールも一際うまかった。追加点がほしい回、打席には怪我のラロッカに代わってスタメンに入っているの東出選手。
「まあ非力の東出じゃ打てんよ」と野球素人の友達にかなりエラそげに“役不足発言&解説”をぶったその瞬間、
東出の打球はグングン伸びてスタンドに吸い込まれたのだった。
「力あるじゃんよ!」とつっこまれた俺は「あいつはそろそろやると思っとったよ」とゴマかしながら、
周りの声援とドサクサにまぎれ「ヨシ!東出!ナイスホームラン!」と叫んだのである。
俺が子供の頃、広島球場は俺みたいなオッサンだらけだった。
「おーいヨシヒコ!まだ体が開いとるでぇ〜」「もうちょっと球をひきつけ打ってみぃー!」「そうそう、そんな感じじゃー」
選手が聞いてるわけもないのに真顔でジェスチャー付きで必死にアドハイスするオッサン達が滑稽に見えてたもをだが。
今はわかる。その愛情が、その楽しみ方が。
今まさに日本のプロ野球は過渡期にある。俺はずーと前から球団を増やすべきだと訴え続けてる。
交流試合もやるべきだと!一リーグ制なんて有り得ない!ニャニャニャー!だ。
野球は読売グループの私物じゃない。たのむよ、ほんと。
ミュージシャンじゃなかったら映画監督かスポーツジャーナリストになりたかった俺としては真剣に悩む。
ものごころついてからの野球ファンの俺としては胸が痛む。
国会といい、プロ野球理事会といい、俺達にも納得できるように議論を尽くしてもらいたい。
というわけで今日から日記を毎日書きます。

今日から苗場

2004年07月29日(木)

今夜から苗場に行ってくる。昨年に引き続きフジロックに参加します。
3日間、山の中のロケ予定なんだが…一昨日に足首を捻挫してしまった。
夜中のジョギング中にこけたんよ。しかもダンベル持って走ってたんだけどね。急に足が「コマネチ!」ってやった時みたいにガクッとなってギクッときてバサッと倒れた。
効果音だけの説明で申し訳ないが瞬時に危険を察知し思わずタンベルを放り投げてこけました。
やばいと思ってたが奇跡的な回復をみせたよ。まあ、俺ほどのアスリートになるとなんとかするので大丈夫さ。
今年も最終日には愛歌をやる。むこうで知り合うアーティスト達といっしょに歌えたらうれしい。
新しい輪が広がっていくのがうれしい。
がんばる。

フジロック04、初日終了

2004年07月31日(土)

天気もよかっし順調。捻挫も気合いで治したよ。大自然とロックのコラボレート、フジロック!
一日中ロケで歩き回ったぁー。ずっとサングラスをかけてたのでメガネ焼けして目のまわりだけ白くなった(元々白くはないが)。やばい。
ステージを観る時間がほとんどなかったけど、ルースターズだけは無理して観に行った。
ラストライブ。感動。涙が出た。
今回フジに連れていったアーティスト達もこの空間からたくさん刺激受けたみたいだ。
詳しくはまたゆっくり書こう。3日間ロックづくしだ!



2004年8月

フジロック成功。

2004年08月05日(木)

今年もフジロック参加は大成功だったと思う。
他のアーティストのステージは、やはりほとんど観れなかったけど…。
ルースターズのラストライブはホント観ておいてよかった。
後、俺の最近のお気に入り"JET"も2〜3曲聴けた。
生で観てもかっこいいバンドだった。
今回連れて行ったアーティストは、長野のカミナリグモ、二人組アコギインストデュオのDEPAPEPE、
ストリート写真家のKEIKA、絵描きのtomoya。
大自然の中でのロックアミューズメントパーク"FUJI ROCK"にそれぞれが刺激を受け、
3日間で顔つきが変わるほどの成長してくれた気がする。
最終日はAVALONステージで愛歌。
昨年よりも沢山の人が聴いてくれて、そして歌ってくれて嬉しかった。
持っていったCDもアッいう間になくなり、全然足りなかったよ。
サルサガムテープ、Lou、ポカスカジャンetcも参加してくれて、ステージ上は凄いプラスのエネルギーに満ちていた。
毎度思う事だが音楽って素晴らしい。
「愛歌」を歌いながら、後ろを振り返った時、ドラムを叩いてくれた元ブルーハーツのカジ君がニコッと笑ってくれて、何だか嬉しかった。
参加してくれたアーティストのみんなホントにありがとう。
そしてエコ問題やリサイクルに正面から取り組んでいるフジロック。
今回はA SEED JAPANの代表の羽仁さんと対談したり、色々と学ぶ事が多かった。
広大な敷地の中で、ほとんどゴミは落ちてない。
お客さんみんながちゃんとゴミを分別して捨ててる。
ペットボトルのラベルもキチンとはがして捨てる。
みんなで落ちてる吸い殻は拾う。
「大自然から生まれた僕らは、自然に恩返しをしよう」
自主性や参加意識がオーディエンスに確実に浸透している。
今、日本が抱えてる問題は、こういった"動く気持ち"があれば、ほとんど解決出来るんじゃないかなぁと思ったりしたよ。
この模様は8/23、30の2週に渡ってストファイでON AIRするよ。観てね。
来年も参加するぜ!FUJI ROCK!
明日俺はランブラーズを観に行きます。
奴らのロックンロールを見届ける。

黙祷

2004年08月10日(火)

8/6と8/9は原爆の日。こんな悲しみを二度とくれ返しませんように…。黙祷した。
近頃のニュースを見てるとほんとイヤになる。政治の話や世界情勢。物騒な事件やスポーツに関しても。
人間というものに対して失望してしまいそうになるよ。
なんか心温まるエピソードが聞きたくなった。なんか人間って捨てたもんじゃないなぁみたいな。
人間ってやっぱり愛するために生まれてきたんだよなぁみたいな…ね。
明日から岡山に行ってきます。



2004年9月

ありがとう

2004年09月04日(土)

誕生日にたくさんのメッセージやメール、ほんとにありがとう。
嬉しかった!“愛歌”の中で「生まれてくれてありがとう」と歌ってるけど、
自分のバースディにそういう言葉をもらったら…すごくしあわせな気持ちになった。サンキュです。
これからのYASSを見ててほしい。がんばる。
誕生日の午後はストファイの番組会議をやってた。会議の途中で電気が消えてケーキが運ばれ、みんなで祝ってくれんだ。
ケーキには[ハッピーバースディ“カリスマ”]と書いてあったりしたよ。(笑)
「これはみんなからのプレゼントです。開けてみてください!」
包みの中身はスタッフやアーティストからの心温まる寄せ書き入りの白いシャツ。
このシャツがもっともスペシャルな点はなんと俺が描いた絵がプリントされていたところだろうな!
その絵というのも俺が小学生の頃に描いていた冒険時代劇漫画の主人公、あの“人斬刀次”。(ファンのみんなは見た事あると思う)
わざわざスキャニングしてプリントしてくれたらしい。(笑)しかも最近描いたやつだし。
ある日、集中力の無くなった俺が会議中に落書きして、隣のディレクターとかに回して見せたという大人げない行為(まったくだ)から生まれたレアな作品だ。
とにかく、楽しくていい仲間たちとモノ作りができているという幸福を感じた午後だったなぁ。
その日の晩は“ぶん・とも”が男の手料理でもてなしてくれた。
野郎二人がかりで作ってくれた食いきれないほどの御馳走はほんとうにうまかった。胸がいっぱいになった。

@横浜。

2004年09月13日(月)

番組史上最大級のイベントとなったストリートファイターズ@横浜。すごくよかった。楽しかった。v 今までの番組の集大成。5000人の人があつまってくれてめちゃ盛り上がったよ。
どのアーティストのライブもよかった。みんな気合いが入ってたな。
今回からWe Love Street、Peace&Cleanというメッセージを掲げんた。
今、ストリートのマナー低下、騒音、ゴミ等でストリートの活動場所が狭まってるのが現状。
たくさんのアーティスト達から相談を受けたりする。
だったら愛するストリートを自分達で守って行こう。できる事からはじめよう。街と理解しあい、共存しようという事でメッセージを発信した。
来てくれたお客さん全員に特製ステッカーを配った。イベント前の朝礼でも出演者全員にその話をした。
みんなそのステッカーを貼ってステージに立ってくれてね。うれしかったよ。
今回はお客さんにもゴミの分別をお願いした。エコのボランティアスタッフの協力も大きかった。感謝したい。
ステージ上から俺も何度かお客さんに呼び掛けたんだが、イベント終了後はチリひとつ落ちてなかったよ。素晴らしい。気持ちがひとつになれた気がした。
9・11という事もありイベントのラストに俺YASSとしての平和への想いを自分の言葉で語らせてもらった。
5千人の観衆がほんとにじっと静かに耳を傾け、聞いてくれた。俺の気持ちはちゃんとみんなに伝わったとおもう。
人と人が繋がっていく瞬間って美しい。心と心が触れ合う瞬間って清々しい。奇跡だって起こせるくらい。
これからも規模の大小は関係なくこの瞬間を大切にいろんなことをやっていきたい。
だってそのために歌があるんだから。

オープニング曲、完成。

2004年09月18日(土)

ストファイの新オープニングナンバーが完成した。
思えば沖縄のスタジオでHYのユウヘイと曲作りをしたのが数カ月前。
そのあと東京でリズム録りをしてから、お互いのスケジュールが合わずでおわずけ状態だった。
忙しい中、時間を調整してユウヘイがスタジオに駆け付けてくれた。
ギターのダビングと三線も弾いてもらい完成。
その日のうちにトラックダウンまですませたのだった。
10月からオープニング映像とともにリニューアル予定。
かっこいいのができたと思うよ。とにかく聴いてると“やる気満々”になれる曲です。(俺はすでに、自分で聴いてとにかくやる気満々!)



2004年10月

会えてよかった

2004年10月04日(月)

時がDVDの早送りのようにすごいスピードで進む。
フラワーフェス、フジロック、ストファイ@横浜。
体感的にはもう何年も前の事のような感じがしたり、心感的にはすべてが昨日の事のような気もするし。
もう夜はすっかり秋だしな。
愛歌は近々に復活するつもり。はやく場所を定めてね。
「出会えてよかった。信じてよかった」「生まれてくれてありがとう」って歌いたいよ。
人間はこの言葉を言いたくて生きてるんじゃないだろうか。
この言葉を言われるために生まれて来たんじゃないだろうか。
テロに巻き込まれた子供達の事や、最近やたら多い救いようのない殺人事件を見聞きするたびにそう想いたくなるんだなぁ。ほんとに。
昨日は久々にユカイくんと会った。5月くらいに自由が丘にあるお好み焼き屋(俺の後輩の店)にいっしょに行って以来かな。
ユカイ家でコーヒー飲みながらほんとゆっくり話ができた。
その後、ふたりでメシを食いに行ってからもずっと音楽の話や映画の話やジョンの話をした。
楽しかったよ。ユカイくんは最高だ。
ところで日記が滞っていたが…今日から毎日書く!!

デビルマン

2004年10月05日(火)

『デビルマン』が映画化された。ファンの間ではかなりの不評らしいね。
でも世界何十カ国で公開されるって話だけど。
難しかっただろうなぁ映画にするのは。俺ら世代からすると“禁断の原作”なんだよね。
壮大だし、まず深すぎるよ。究極のテーマだもんな。
スパイダーマンだとかバットマンだとかのアメコミを映画化するのとはわけが違うよ。
あれはあれで凄いんだろうけど。
俺が子供の頃はもっと乱暴に漫画を実写の映画にしてしまう〜禁じ手〜が使われてたもんだ。
圧巻だったのは映画『ドカベン』で殿馬の役が“川谷たくぞう(たくボン)”だった時かな。
子供心に「あれれ?おっさんじゃん!」と違和感を禁じ得なかった事をおぼえてる。
いい線いってた『ゴルゴ13』の高倉健さんも微妙っちゃ微妙だったしなぁ。
まあ、むかしのカルト的なのをあげれば限がないけどね。
とにかく『デビルマン』。本格派のいい俳優で固めてハリウッド並のCGを駆使すれば、あの世界を再現どきるかもしれないとも思う。
恐いもの見たさで観に行ってみようかな。



2004年11月

寒かったり暖かかったり

2004年11月03日(水)

うん。せつないね…。ここ最近の暗いニュースを見聞きするたびに失望感で胸がいっぱいになってた。
だからこそ、もう一度信じたいよ。愛と歌の力を。今、思うことはたくさんあるが…うまく言葉にできそうにないな。
ところで、今日はぶん・とものアルバム発売日だ。最高な作品だからたくさんの人に聴いてもらいたい。心の奥に触れてくれる歌たちだから。
そうそう、サスケが好調なのもほんっと嬉しい。もう長い時間を共にしてきたし、その成長を見て来たしね。うん。
そういえば『テビルマン』観てないなぁ。ちょっと前に、久々に映画館に入ったんだけど『スウィングガールズ』観ちゃった。そういう気分でね。
シンプルに楽しかったよ。「ないない!」っていうツッコミ所満載だったが、それがまたいい感じでね。(笑)
この映画がクランクインする前に「ドラマー役の娘を紹介してほしい」って関係者に頼まれてたんだが、“高校生役”というのと“山奥に何カ月も合宿する”というのがネックで結局見つけられなかったんだよね。
作品の中でその役をやってた娘、いい味だしてたー。うん。
音楽ネタの作品はやっぱり思わず微笑んでしまう。『スクール オブ ロック』も最高だったし。
映画の秋、そして食欲の秋。
先日はユカイくんが来て鍋をして食った。そして次の日の夜はローランのヒトシが弟子のようじを連れて来てね。鍋の残り汁でカレー作ってみんなで食べた。うまかったよ。ダシがきいてて。
基本的に俺ん家は誰かかれか客が来てるんよ。一週間くらい泊まってくやつもザラです。
というわけで久々の日記はまったく取り留めない内容になったなぁ。

ブッシュ再選かぁ

2004年11月06日(土)

これほど世界中から批判されてるにも関わらず彼が選ばれるんだな。不思議な国だ。
まあ、ほとんどのアメリカ人が国外に出た事がないうえに、世界情勢にも無関心みたいだし。
特に田舎の有権者から支持されたんだろう。支持者の意見も「中絶反対や反同性愛者なので道徳心がある。」「キリスト教への信仰心が強い」など、まったく国際的な空気が読めてない保守的コメントだったよ。
「テロから守ってくれる」「米兵士の死にも心を痛めてる」みたいな意見もあったしな。
結局あの大儀なき戦争をアメリカ国民自身が認めてしまった結果になった。
やっぱり案の定、イラク戦争は“ショッカーの戦闘員”みたいなテロリストと正義の味方アメリカ軍が戦ってるようなイメージにどっかでなっちゃってるんだろう。
民間人や子供たちの悲惨な光景をアメリカのメディアは流さない。結局、都合よく解釈してるだけ。
例え話〜「ザザエさん家がピストルを隠してる」警察が強制捜査の末に磯野家に突撃。タラちゃんやカツオ、ワカメを殺して波平を逮捕。でもいくら家宅捜査してもピストルなんて出てこなかった。さあ誰がどう責任をとる?〜
ケリーの方がよかったかはよくわからないが、ブッシュの再選で灰色の部分、真っ黒な部分が正当化されたような恐怖感が残った。
もちろん、卑劣なテロにも眠れないほどの憤りを感じる。だがあの「自衛のための先制攻撃」イラク空爆に賛同した日本は今後どう関わってどう責任をとっていくのか。

ご無沙汰

2004年11月25日(木)

ほんとに忙しかったよ。おかげでご無沙汰しちゃったぜ。
いやぁ、今日から毎日書く!
レコーディングは順調だ。ちょっとやばい。傑作かも。うん。
ジョン・レノンのイベントが近づいてきたね。とてもいいメンツが揃ったよ。
みんな楽しみにしててほしい。
ちなみにユカイくんとの仮のユニット名が決まりました。まあまだ“仮”なんだけどね。
その名も『ラストサムライ』です。初お披露目ステージ。観に来てくれな。



2004年12月

沖縄より

2004年12月05日(日)

今、沖縄の名護市にいる。
今月行われる@沖縄に出演する地元アーティストを取材しにきた。
また楽しい出会いがあった。人間っておもろい。人生っておもろい。
名護ははじめて来たけどいいトコだな。
朝までトラックダウン&マスタリングしてて、そのまま又しても完徹して飛行機に乗った。まじで眠い。
明日(今日)も朝からロケ。3時間くらいは寝れる!がんばろっ。
タフ&ラブ!

タフ&ラブぱーと2

2004年12月08日(水)

沖縄から無事に帰ってきたよ。地元のアーティストと長い時間コミニュケーションをとれた。
家までお邪魔して沖縄の家庭料理もご馳走になった。石垣島の時も思ったけど、今回もまた家族愛、その絆の深さを感じて帰ってきました。
アーティスト本人たちと話しててもほんとおもしろかったし、ご両親や姉弟たちに色んなエピソード聞いてさらにおもろかったぁ。
いやぁ人って楽しいな。
ただ今回の沖縄はとにかく風が強く、俺の髪形が『爆発ライオンキング状態』になっております。いや『中世の大作曲家的ヘア』かも。オンエアー観るのが恐い…。
今日は日帰りで広島に行って来たよ。4時間かけて移動して3時間打ち合わせして4時間かけて帰ってきたー。うーん、もうタフ&ラブだぜ。
明日は(今日は)いよいよ『P.Sジョンレノン』。第2回だし昨年より盛り上がりたいね。
みんな新ユニットに期待を!
それからたくさんメールありがとう。遅いながらも少しづつ返事書いてるので。スマン!

南へ、再び。

2004年12月11日(土)

P.Sジョン・レノンも楽しく終わったよ。ただ一曲目からギターの音がいきなり出なくなったのにはちょっとあせったねー。
トラブル慣れっ子のYASSも「めずらしく動揺してたね」と後で友達に言わちゃったよ。ユカイくんにフォローしてもらったな。
明日から再び沖縄へ。4000人でいっぱいの宜野湾野外音楽堂。
なのにすでに6000枚以上の入場整理券がはけてるらしい。大丈夫かなぁ。
それにしてもストファイもでっかくなった。とにかく仲間たちとおもいきり楽しみたい。俺も仕切役としてもがんばるよ。

雨にも負けず風にもめげず!

2004年12月14日(火)

ただいま東京。@沖縄は悪天候にもかかわらず3000人以上が集まってくれた。
ステージと客席がひとつに繋がったほんとにいいイベントになった。沖縄最高さぁ。
来年一月のストファイで2週にわたりオンエアするよ。
アーティスト、お客さん、ボランティア、番組&ステージスタッフ。みんなで作り上げたこのイベントの中に、未来をポジティブに生きてくヒントがあったような気がしたんだ。
みんなピースな空間をありがとう。
夜の打ち上げは楽しかったな。心を開ける仲間のアーティストとスタッフ(総勢70名くらい)で笑って泣いての濃い!夜でした。
また沖縄でやりたいぜ。

ラ・ママ

2004年12月20日(月)

冬らしい寒さがやって来た。 土曜の午後は芝居を観に行った。
「ペテカン」は何度か観に行ってたんだが、
今回は友達の笹峰愛が出ると言う事でアオキンと二人で行った。すごく面白かった。
例えば日常の仲間内の会話って凄く自然に楽しくて、ポイント高いやり取りが満載だったりする。
でも、テレビドラマや芝居になると、それがどうしても不自然で台詞っぽくなりがちだ。
この日観た舞台は、それが極限に近いまでにナチュラルに表現されてて、
言葉のやり取りに引き込まれて 心が自然と柔らかくなった。
凄く楽しめたよ。

夜は、元ジュンスカの森純太がプロデュースのイベントに誘われて、観に行った。
何年かぶりに訪れた渋谷ラ・ママは、全てが昔のままだった。懐かしかった。
ローラン時代にミスチルと一緒にやったりしてたからね。
風邪引いてたんで、顔だけ出して帰ろうと思ってたんだけど、結局最後まで居て、
打ち上げまで参加してた。
なんか、久しぶりに逢う連中と、懐かしい場所。それからひたむきなR&R。
酒が美味いに決まってるじゃん。
どのバンドも凄くいいライブで、楽しかった。なんかうまくいえないけど、
やっぱりR&Rは最高だなあみたいな気分。
進化して行く事も素晴らしいが、変わらずやり続ける、「不変」である事の素晴らしさ・・・。
やっぱりうまく言えないが、忘れてしまいがちな、その言葉に出来ない”なにか”を
思い出させてくれたんだ。
ラ・ママに「お帰り!」って言われたような、
居心地のいい時間と空間だった。

博多より

2004年12月22日(水)

福岡は博多にいるよ。ぶんやの初九州ライブを見届けた。明日朝の飛行機で東京に戻る。風邪も治ってきた!そしてYASSカフェだ!燃えるぜ!